連載・寄稿

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2020.09.28 News 連載・寄稿

「“派手さのない”菅新政権の必然性はどこにあるか」

日本人の価値観をめぐる連載、第42回のテーマは「“派手さのない”菅新政権の必然性はどこにあるか」です。

菅政権が始動しています。派閥の論理などをめぐる報道が組閣人事でひと段落すると、この政権はちょっと違うぞ、という雰囲気が漂いはじめました。それは、菅義偉総理が良くも悪くもイデオロギッシュではなく、その代わり「改革」については仮借ないリーダーシップを発揮する人だからです。

何のために政権を獲るのか。歴代総理を見てもその動機は千差万別でしょうが、共通する点は、自分がやりたいと強く思う人でなければ総理にはなれないということ。いかにして「自己」=セルフを打ち出しつつ、同時に自己よりも高次なものと向き合うか。その中で、地位の大きさに飲み込まれないことが肝要です。当初の志は様々でも、政治家の中には、生き残ることを目的にするあまり、生存本能の権化のようになってしまう人もいれば、三方良しで丸く収めることを至上価値とする人もいる。お父さんやおじいちゃんが大臣だったような二世、三世の議員は、はじめから期待値がインフレ状態のレースに競走馬のように参加させられており、自らの自意識と現実の狭間で常に引き裂かれています。そして、総理大臣職の持つ存在の大きさに飲み込まれてしまう人もいる。

菅新総理から見えてくるのは、自分にないカリスマ性のある小泉進次郎氏などを大事にする一方で、ご自身については「スタイル」なんてバカバカしいとばかりにあくなき実利と結論を模索する姿勢です。美辞麗句だとか、理念をめぐる力強い演説も結構だが、ところでそれは旨いのか、食えるのか、結局どうなんだという。いささか身もふたもない態度ですが、ひとつの価値観であることは確かです。

しかし、そこで思ったのは、日本人は意外にこういう人が好きなのかもしれないということです。日本では、左派ポピュリズムも右派ポピュリズムも社会に根っこを持ちません。また、「ハレ」だけでは疲れてしまうというのも日本人の本音であるでしょう。ぎょうぎょうしく黒塗りの車を連ねて靖国に参拝するのも、晴れやかな自衛隊の観閲式もいいけれど、国民はそれだけでは納得しません。またもや世襲ではない変わり種の総理が国民の支持を得たのは、やはり普通の人の「ケの感覚」を尋常でない馬力で実現してほしいという願いの表れだったのだろうと思います。

菅さんが最有力候補となると、テレビのワイドショーは一斉に彼のストーリーを報じ始めました。スターを求め、リーダーの人間性を理解したいと思う本能的な衝動なのでしょう。そこには我も我もと勝ち馬に群がる群集心理があったことも否定できません。しかし、菅さんは「東北の農家に生まれ、上京して苦学生をした普通の人」というストーリーに乗ってみせながらも判断を間違えず、自分自身に光が当たりすぎないよう気を付けます。

なぜあなたは立候補するのか。なぜあなたでなければならないのか。この二つの質問は、立候補者が最も苦労する、本質的な問いかけです。石破さんの答えは、厳しい総裁選に幾度もチャレンジしてきたこと、世論調査で長らく総理にふさわしい人物として評価されてきたこと、自民党の中で唯一安倍政権に対して正面から否を唱えられる存在で、それゆえに資格がある=qualifiedということです。岸田さんは、同様に識見に優れ、資格があることに加え、三人の中でもとりわけ謙虚でイデオロギー面で中庸であること。しかし、菅さんはこの難題を自己に引き付けず、「みんな」に焦点を当てることで微妙に質問の構造自体を変えることに成功します。すなわち、みんながやってほしいと思う当たり前のことを実現するため、というのが彼の答えです。なぜ菅さんでなければならないのかについては正面からメッセージを発しているわけではない。しかし、それぞれの人の頭の中で、菅さんは石破さんではなく、かつ岸田さんではない選択肢として認識されていた。派手さのない菅さんは、それを上手に利用したのだと言えるでしょう。

総裁選立会演説会での石破さんのスピーチは、国家観に言及し、語調は断固としてかなり現状に手厳しいものでした。自民党が変わらねばならず、地方が変わらねばならず、日本が変わらなければならない、ということを大所高所から説きました。正論に満ちていた一方で、明るさに欠けたことは確かです。大派閥が次々と勝ち馬に乗る中で彼が覚えたであろう絶望感が影響していたともいえるでしょう。

菅さんの総裁選演説は、長期安定政権を築いた安倍総理に対する敬意と評価から入り、官房長官として携わった政策について述べ、自己のストーリーを強調した。そこには華やかさも理念的な魅力も感じられなかったけれども、おそらくこの人でいいのではないかと納得させる効果はあったわけです。

菅新政権は誕生の経緯から言えばピンチヒッターであり、必然性に欠けるところがあった。その一方で、組閣人事は必然性が随所に感じられるものでした。改革のための布陣であることは明らかで、そのための権力分布にも配慮したものであったからです。そこから感じられたのは、自分は「神輿」ではないぞ、という意思。女性閣僚が少なかったのも、女性を「華」として扱わなかったからです。副大臣クラスの人材はまず副大臣に、喧嘩が得意な壊し屋は行革担当に、平成研からは温厚なホープを官房長官に据え、派閥の論理と個々人の能力を踏まえた適材適所を推し進めた結果、地味ではあるが納得感のある内閣が出来上がりました。

今後、外交安保問題、国会対策、スキャンダルが持ち上がった時の危機管理など、新政権は多くの課題に直面することでしょう。おそらく最大の課題は、改革を進めるうえで党内の反対や官僚機構からの抵抗が生じることであり、それへの対処を間違えば、政権の存在意義そのものが問われます。新政権の手腕を見守っていこうと思います。

 

文藝春秋digital【分断と対立の時代の政治入門】2020/9/28掲載