連載・寄稿

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2019.11.12 News 連載・寄稿

「身の丈発言批判が焙り出すもの」

月刊文藝春秋のオンライン版(文藝春秋digital)で連載【分断と対立の時代の政治入門】を始めました。弊社の「日本人価値観調査2019」の結果を細かく読み解きながら、日本社会と政治における価値観とイデオロギーを考えていきます。第1回は教育の機会格差がなぜ解消されないのかについて。「身の丈発言批判が焙り出すもの」

萩生田文科大臣の「身の丈」発言は方々から批判を浴びました。英語民間試験の導入をめぐり、地域格差や経済格差が英語民間試験の受験に当たって有利・不利を生むという指摘に対し、「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」といった発言です。

炎上というのは興味深いものです。「英語民間試験」という現在入試や教育にかかわる人びとを除けば、熱した議論が行われるとは考えにくい問題に関して、なぜこれだけ炎上したのでしょうか。

一つの原因は、日本における機会格差の現状を赤裸々に指摘してしまったから、というものでしょう。文化資本、つまり家に本がふんだんにある環境、親が学業や教養を身につけさせてくれるような環境で自然に育った人と、そうではない人の与えられた機会格差は大きなものです。

もちろん、義務教育のあいだにその機会格差をなるべく縮められるよう、公立小、公立中の教育を充実させよう、というのは誰もが同意する正義でしょう。しかも、ここが一番日本は不足している。教育にかかわる公的支出は先進国の中で著しく低く、その代り家計が先進国とのギャップを担っています。つまり、ごく単純化して言えば、塾代や習い事代といった余裕のある家庭が支出する出費があってはじめて、「先進国並み」の教育環境が手に入るということです。

私立のお受験、インターナショナル・スクールと、お金や知識がある親の元で育った子供たちは、英語を身に着けたり、海外へ行ったり、バイオリンを習ったりして、貧しく育った子どもたちを引き離してゆきます。

あたし、中卒やからね。仕事をもらわれへんのや。
滲んだ文字、東京行き。

中島みゆきの歌う「ファイト!」に現れる人びとは、くやしさを握りしめてもがいている。深く根付いたくやしさと絶望感を、初入閣の大臣は刺激してしまったのでした。

ここまでは、すでに各方面から指摘されているところです。ただ、本件はそれだけでは終わらない論点を含んでいるのではないかと私は思います。

そもそも、TOEFLやIELTSなどのグローバル基準での英語試験を入試に導入するのは、日本人の英語能力が比較劣位にあることが根本的な理由です。センター試験に英語の科目はあるのに、学校教育だけで英語を喋れるようにはまったくならない。英語で意思疎通できるような論理構築能力も身につかず、そういう能力を育てるためには、別途教育にお金を払わなければならない。

もちろん、英語民間試験の導入でベネッセコーポレーションなどの必ずしもグローバル基準ではない試験の民間業者が潤うという執行面での問題はあるでしょう。新制度を導入しようとすると、そこから排除されないためのロビイングが活発化し、結局はそういうことになりがちです。けれども、改革の主眼であるグローバル化に対応する英語能力を育てるという課題が、ここでは議論からけし飛んでしまっているのです。

それは、この問題が日本社会における競争と社会変化を恐れる感情を呼び覚ましてしまったからです。実は、本件に関するツイートを見ていると、教育に競争重視の考え方を持ち込んだということに対する批判と併せて、発言が問題視されている投稿が少なからず存在するのです。

萩生田大臣発言炎上から見えてきたものは、競争が公平な条件の下に行われていないことを問題視する意見だけではありません。現状の入試自体、既に公平な条件で行われてはいないのに、萩生田大臣発言に寄せられたほどの強い世間の怒りが、現状のシステムに対しては向けられてはいないからです。むしろグローバル基準での英語能力をめぐる競争によって優劣がつくことや、慣れ親しんだセンター試験ではなく、新しいグローバルな基準を持ち込もうとすることに対する反発があったのでしょう。

競争を恐れることは、むしろ、身の丈に合った環境で「分を知る」ことに繋がってしまいます。だから萩生田大臣発言を問題視する人が、同時に新たな競争の導入に否定的なのは矛盾でしかない。本来、そのような発言の裏に潜む思想に反対なのであれば、日本が直面する教育格差やそれによる収入格差を縮めていくための抜本的な改革を推進しなければなりません。それを適切に推進する政治勢力が欠けているのが現状です。

なぜ、そうなのかを読み解くために、保守と革新の対立を少し振り返っておきましょう。

 

文藝春秋digital【分断と対立の時代の政治入門】2019/11/11掲載

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