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女性問題質問

2020.01.13 News お知らせ

「女性問題に党派性はない。背景にあるのは『隠れ差別』」

日本人の価値観をめぐる連載、第10回のテーマは「女性問題に党派性はない。背景にあるのは『隠れ差別』 」です。

前回は、女性活躍を阻む様々な要因を検討したのちに、弊社(山猫総合研究所)の日本人価値観調査における女性問題に関する価値観の結果をお見せしました。

そこで述べた、表面的にポリコレ言説に同意する人の中から隠された差別意識を焙り出す設問とは、「女性がハラスメントを訴えると大抵はもっと大きな問題を引き起こす」というものです。米国では、正面から女性差別や人種差別的言説を繰り出す人はごくごく少数です。そのため、本音を焙り出す一つの手法として、様々な設問が工夫されてきた経緯があるのです。

前回、日本で女性活躍がなかなか進まない理由の一つに挙げた、価値観の定食メニューがまだ十分に形成されていないという指摘をもう少し分かりやすく数字でお示ししましょう。同じ日本人価値観調査の別の設問で聞いた、立憲民主党に対する評価、そして2019年参院選における比例代表の投票先の回答結果ごとに、以下の表を作成しました。「女性がハラスメントを訴えると大抵はもっと大きな問題を引き起こす」という設問に対して、同意した人は「隠れ差別」を抱えており、反対した人は「隠れ差別なし」という分け方です。

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ご覧のように、立憲民主党を評価しているかいないかは、ほとんど隠れ差別のあるなしに影響しません。立憲民主党が女性差別の撤廃を真剣に打ち出していたとしても、隠れ差別のない人がより立憲民主党に集中するわけではないということです。

より直接的な選挙結果を見ると、多少差は出てきます。例えば、2019年参院選挙の比例代表で立憲民主党に投票した人のうち、女性に対する隠れ差別意識を持つ人と、持たない人はおよそ半々でしたが、自民党の比例代表候補に投票した人に限ると、その比率が9ポイントほど変わって半分の人が隠れ差別を持っており、4割弱の人が隠れ差別を持っていないという結果が見えてきます。

しかし、立憲民主党に投票した人が全国平均と変わらない隠れ差別のあるなしが半々という状況は、お世辞にも褒められたことではありません。

また、ここで重要なのは、隠れ差別を抱えるのは男性に限らないということです。興味深いことですが、全回答者を男女別に分けて前回の年代別正規分布のようなグラフを作成しても、男女で結果はそれほどずれません(下グラフ参照)。また、女性問題に関する男女の価値観は、年代別の社会的価値観よりも平均値の乖離は小さいのです。女性問題に関して、男女の回答にあまり差がないということの意味は、女性自身がそのような穏健な価値観を有しており、ときに女性自身が、隠れた女性差別意識を持ち合わせている場合もありうる、ということです。

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女性問題に関する価値観の男女別正規分布

さて、これらの結果を見て読者の方々はどのように感じるでしょうか。まだまだ政治の努力が足りない、と感じるのか、それとも政治は有権者の写し鏡であると思うのか。もしも、人びとがセクハラなどを受けて告発に踏み切った女性に対して「迷惑」だと感じる要素があるのだとすれば、それはおそらくその人や社会がこうした女性問題の存在によって傷ついているからだろうと思います。

前回の記事で述べたように、「職場におけるセクハラ問題はもう日本では解決した」という価値観に同意した人は、僅か5.1%でした。自民党高評価層に至っては、強く同意した人は0人でした。問題の所在は分かってはいるが、問題が引き続き存在するということにも、曖昧な解決策が許されなくなってきた近年の風潮にも、社会は傷ついている、という見方ができるのかもしれません。「傷ついているのはセクハラを受けた当の本人だ!」という主張はその通りです。その主張には一ミリの疑問もありません。しかし、本調査の結果を見た時に明らかなのは、深刻なジェンダー・ギャップを抱えつつも、果たしてこの社会の何が間違っていたのか分からなくなり、また自分が過去にさんざん我慢して自らを律し、研鑽を積んできた意味は何だったのか分からなくなった男女が、確実に人口の半分を占めているということです。

ここまで申し上げても、女性問題に関しては党派ごとに大きな意識の違いがあると指摘したい方もおられるでしょう。そこで、以下に自民党に対する評価度別に、女性問題に関する価値観の平均点を示しておきます。

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グラフが示す通り、日本における女性問題は、党派性で語ることができません。なぜか。それは、日本における左右対立は女性問題をはじめとする社会的価値観に強い関心を持たずに展開してきたからです。いうなれば、女性はリベラル・左翼にずっと裏切られ続けてきた。対米従属を論難する左翼論客が、女性問題についても同じような情熱を込めて発言してきたでしょうか。そこにダブル・スタンダードはなかったでしょうか。隠された女性憎悪はなかったでしょうか。ちょっと考えただけでも両手の指に余るほどの「隠れ差別」の存在を指摘できます。そして、既に述べた通り、女性自身もそれに加担してきたというのが不都合な真実なのです。

さて、本日の結論です。女性問題を党派性で捉えるのは間違っています。女性問題は、私たちが左右の区別なしに乗り越えなければならない課題であり、女性差別の撲滅とは、究極のフェアネスを自らの中に養うことをもって初めて達成される目標なのです。

 

文藝春秋digital【分断と対立の時代の政治入門】2020/1/13掲載