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2020.02.24 News お知らせ

「経済成長を阻んでいる日本政治の最大の問題とは?」

日本人の価値観をめぐる連載、第15回のテーマは「経済成長を阻んでいる日本政治の最大の問題とは?」です。

前回は、成長が鈍化した国ほど左右のポピュリズムが台頭するのに、日本だけが例外であることについて書きました。ここまで調査結果をご紹介してきた「日本人価値観調査2019」でも、日本人の経済政策に関わる価値観が中道寄りであるということを示しました。

日本が戦後、高度経済成長を達成して敗戦後の焼け跡から世界第2位の経済大国へと躍進した歴史は、かつて、日本が優れた産業政策を取ったからだと理解されてきました。日本が戦後に展開した産業政策は、チャルマーズ・ジョンソン著『通産省と日本の奇跡』で大きく持ち上げられました。しかし、当時、日本の通産省は成長するために何か各国とは違った新しい財や産業セクターを開拓したわけでもないし、キャッチアップで経済成長するためにはそのような判断をする必要がなかったのです。

日本の高度経済成長に大きく寄与したのは製造業であり、日本企業は車や冷蔵庫といった各国と同じ種類の製品を品質面、価格面で競争力をもって作っていました。製造業を支える裾野の産業、例えば、素材系の産業も発展していきます。人びとの所得が伸び、内需が拡大する過程で、消費活動も活発化します。当然、卸売・小売業も伸びたし、サービス業も伸びていきました。製造業は儲かった利益で設備投資を進め、生産性を飛躍的に伸ばして輸出市場でも存在感を増していきました。

この時代の日本は、経済成長はインプットの増加と生産性の向上の双方に支えられていました。戦後の人口ボーナス期に当たる世代が社会に輩出された60年代には、質の高い労働者が大量に供給されました。労働者の生産性も、農業から製造業やサービス業へとシフトする中でどんどん高まっていったのです。人口ボーナス期に全ての国が成長を実現できているわけではないので、日本の経済界の勤勉さや企業文化の要素も無視できませんが、この時期の日本は成長するべくして成長したと言えるでしょう。

翻って、政治の側では輸出産業を支援するとともに、国土の均衡ある発展を大義名分とした田中角栄総理方式の公共事業が盛んに行われるようになります。内需主導型の経済成長が唱えられ、低金利へと誘導し、開発や不動産投資と建設が盛んになり、バブルがはじけるまで過熱していきます。

その後到来した、いわゆる「失われた時代」は、マクロ経済の観点からは世界的に特異な状況でした。ほぼ全ての産業が停滞し、デフレに悩まされます。産業構造で見れば、米英独といった他の経済大国と比べて日本が特異だったのは、銀行や保険などの金融業がリーディング産業とならず、不動産業も(バブル期の狂騒を除いて)持続的なリーディング産業へと成長しなかったことです。これは、日本における土地の値段の高さを考えると意外かもしれませんが、各国と比較すると明確になります。

資本主義の生産性の側面は、信用創出に伴う取引の活性化という形で現実の経済にインパクトを与えます。ところが、日本における不動産業は土地取引に伴う手続きの時間と費用が高くつき、また他の取引分野と比べても不正や詐欺が横行しやすい原始的な分野にとどまっています。要は、取引コストが高止まりし、付加価値を高めにくい構造にあるのです。また、路線価の考え方に沿って駅からの距離などの利便性で値付けがされる一方で、眺望や大規模な環境整備による付加価値が見いだされにくいという特質もあります。

日本の金融業が、他の先進国対比で発展しなかった理由には様々なものがありますが、煎じ詰めると、業界の発展を促す需要側も供給側も不十分であったということであろうと思います。まず受容側として、日本には未だに金融業を「虚業」とみなし、「額に汗」して「ものづくり」を行うことが倫理的であるとされる傾向があります。また、十年一日のごとく、「貯蓄から投資へ」と掛け声をかけていますが、実現できていません。

もちろん、供給側の金融機関にも大きな問題があります。役所主導の護送船団方式と減点主義の組織運営を長らく続けてきた結果として、リスクを正しく認識し値付けするという金融機能の根幹が弱いのです。金融緩和を通じてどれだけお金を刷っても、一向に市中にリスクマネーが供給されないのはそのためです。

もはや悲喜劇的なのは、政府が金融市場の発展を半ば積極的に阻んできたとさえ言えることでしょう。日本では長らく政策金融が幅を利かしてきました。政策金融とは、財務省の定義によれば、「公益性が高いものの、リスクの適切な評価が困難な場合や、深いリスクテイクをすることが必要な場合など、民間金融機関のみでは適切な対応が十分できない分野において、融資や投資、保証などの金融的手法によって目的を達成する政策手段です」とあります。かつて、日本がそれこそ現在の中国を彷彿とさせる手法で国策的な融資を行い、かつ政治主導で中小企業や農業などの生産性の低い分野に極めて低利の貸し付けを行ってきた名残です。もちろん、ODAと連携した融資や国の教育ローンなど、明らかに政策趣旨に納得のゆくものは存在しますが、現在では、政治家の意思を反映して彼らの支持層を支えるための手段となってしまっていると言っても過言ではありません。

金融と並んで、成熟国にとっての成長分野として期待が大きい業界がヘルスケア業界ですが、医療・健康分野に関しても規制緩和が進まず、掛け声だけで成長産業とする試みが進んでいません。この分野は高齢化が進む社会において十分ポテンシャルのある分野であり、先進各国における医療・介護セクターの成長とそこが雇用している労働者の増加を見るにつけ、先進国では必ず取り組むべき改革です。

政府からお金が注がれ続けてきた公共事業部門も、圧倒的な非効率性を温存する形で、資源投入量に対して極めてコストパフォーマンスの悪い事業が行われてきました。農業分野は実際のGDP寄与率(1%程度)を考えると小さな話に思えるかもしれませんが、圧倒的なリソースをかけて農業の保護を打ち出しながら、生産性を低いままにとどめおいているほか、持続可能性が危ぶまれる事態になっている事実は深刻です。

いまにいたるまで、日本の弱みは安い労働力の大量投入と設備投資に依存した製造業主体の発展モデルから転換できていないことであり、産業構造が変化できていないことです。政治家主導の事例では彼らの考えるニーズベースで政策が作られてきた結果として、政治家の出身母体であるいわゆる名望家、中小企業経営者、利益団体の「肌感覚」からする「必要性」に大きく引きずられた政策がまかり通ってきたのです。

なぜ日本が成長できないのかは、実は、明らかです。政治が経済成長のための思想を持たず、民間の生産性も上がらないから。それを改善する手立ては出そろっているのに、それができない。逆説的ですが、成長が必ずしも有権者が熱量をもって関心を寄せる分野ではなくなってしまっているから。少なくとも、成長に関する議論を救い上げることができる勢力は今の日本政治には存在しません。皆が、細かい分配の方策をめぐって議論するうち、気が付いたら成長をけん引する産業が衰退していた。私たちの置かれた環境は、今そんなところにあるのです。

文藝春秋digital【分断と対立の時代の政治入門】2020/2/24掲載