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2020.03.23 News お知らせ

「立憲民主党が『就職氷河期世代』を取りに行く戦略は正しいのか」

日本人の価値観をめぐる連載、第20回のテーマは「立憲民主党が『就職氷河期世代』を取りに行く戦略は正しいのか」です。

先週、社会政策の革新性をめぐる争いが、10年後、20年後の政党にとって主戦場となるだろうという問題提起をしました。なぜかと言えば、外交安保が主要な対立軸でなくなれば、人間が行う政治というものの特質上、何か他のイデオロギー対立が生み出される傾向にあるからです。従って、リバタリアン(経済成長重視で社会的にはリベラルな人びと)をめぐる分捕り合戦が激化するだろう、と私は予測しています。

いま、自民党と立憲民主党の思想は、大きくは成長重視と分配重視で分かれています。しかし獲得した有権者は互いにある程度重なっており、経済政策において必ずしも固まったイデオロギー対立があるというわけではありません。社会政策においては、両党の主張やブランドイメージは異なるものの、その分野はこれまで票に結びついてこなかったという歴史的背景があります。現状のすみ分けの曖昧さを考えれば、将来的な価値観分布を見越して、先にイニシアチブをとった方が有利であるということになります。

もしも社会政策の革新性と経済成長を結び付けた政策プラットフォームを打ち出すことができる政党が現れれば、このリバタリアン層の強い支持を獲得でき、また安保現実主義に加えて経済成長を理由とした社会保守層の支持までをある程度確保することができるからです。

そのようなポテンシャルを持ちうる政策分野は、大きく言えば環境問題と女性問題です。他にも、テクノロジーを活かした先進的な介護の導入や健康政策といった分野も重要ですが、やはり象徴的なのはこの二つでしょう。重要なのは、そのような成長戦略はリベラル(分配重視で社会的にはリベラル)を遠ざけず、むしろ彼らの理想とする目標が成長を通して実現することになるので親和的でもあるという点です。他方、社会保守の側も、経済成長という功利主義によってそのような社会変革を許容することはたやすいことです。

自民党の立場に立ってみましょう。社会保守の考え方を頑固に信じる支持者が一定数いることは間違いありません。もしもその人びとに忖度し、拘泥しすぎれば社会変革のスピードについていけず、オールドファッションな、経済にも未来にも後ろ向きな政党になってしまいます。自民党は地方の田舎を代表するだけの政党として、ひたすら中央対地方の論理を煽りながら、減りゆく人口を地盤にしなければならなくなるでしょう。つまり、立憲民主党にとって最良の戦略は、自民党を地方の社会保守政党に押しやることです。

世耕さんは、こうした斜陽の道を取る気はないようです。彼は、従来から自民党が(悪く言えば)野党の政策課題を奪ってきたことに言及し、いささか洗練度は足りないにせよ、社会リベラルにアピールする戦略を取ってきたと述べました。だからこそ、寡婦控除の見直しも実現したのであり、自民党の中で一見保守であると思われていた女性議員が立ち上がって内部で戦ったのだと。実際、世耕さんご自身はこうしたリベラルな価値観を信じており、自民党が社会リベラル的立場へ移行することには抵抗はないのでしょう。ただし、私がその場で申し上げたように、女性議員に寄り切られて保守的な男性議員がしぶしぶ態度を変えたからといって、リバタリアンの熱狂的な支持を得るには至らない。あくまでも、自民党の戦略は安保リアリズムで竹馬をはかされたうえでのポーズとしての社会リベラル化にすぎません。この点、もう少し長期的な視野をもって行動すべきではないかとも思いました。

翻って、逢坂さんの回答は社会政策としての経済政策に言及するものでした。人を攻撃しない資本主義経済という言葉に表れているように、逢坂さんの掲げるビジョンは失われた均衡や公平さを取り戻そうとするものです。もちろん、男女の賃金格差も問題視し、変えていこうとするのでしょう。

興味深いのは、逢坂さんが「これはわれわれの好きな分野なんです」と仰ったこと。つまり、社会政策と経済政策を結び付けたアプローチは、立憲民主党の最大の売りの一つであり、それこそが将来世代の支持をも獲得できるという信念があったということです。

しかし、そこには私の問題意識と大きなずれがありました。お話を字義通り受け取れば、逢坂さんが取りに行こうとされているセグメントは、リバタリアン(経済成長重視で社会的にはリベラル)ではなくリベラル(分配重視で社会的にはリベラル)です。分配重視の経済政策を行った結果として社会政策における革新を目指す、というメッセージと、社会リベラル的分野において経済成長をブーストさせることで新たな富を生み出す、というメッセージでは印象も惹きつける層もまるで違います。

実際には外部条件が一定であるので、政党が打ち出す政策は経済的には似通ったものになりがちですが、どこに重点を置くかでまるで違った求心力を生み出すことになります。逢坂さんの戦略は、やはり本連載で言及したBさん(就職氷河期時代に正規の就職口を逃し、フリーランスとなった独身の40代男性)を惹きつけるものであり、Aさん(転職でキャリアアップを図ってきた環境問題に関心がある事実婚の2児の母)を惹きつけるメッセージではないからです。

ある意味でつらいことなのですが、政治とは、それ程理想が異なるわけではない二人を分断する活動です。AさんとBさんには、双方が理想だと思える社会を提供できるはずなのですが、両者の力点の置き所が異なるがゆえに、政治闘争が生じる。そして、本来はそれ程異なるわけではない政敵の顔を黒く塗ってその黒さを責める、という不毛なゲームでもあるのです。

私が現実政治に加わりたくない理由は、そのような不毛さに人生を捧げたくないからです。しかし、与野党のキーパーソンがこうして仲良く語らい、運命を左右はするが命までは取らないゲームを繰り広げて戦い、善く戦ったのちには相手にフェアな評をぶつけあう、というのは、民主主義のコストであり、かつ醍醐味でもあります。逢坂さんがいみじくも仰った通り、「政治は残酷なもの」であり「それほど(立憲民主党と公明党は)立場が違わないのに逆のことをする」ものなのです。

だからこそ、こうした議論を議員会館内の内輪にとどめず、スポーツ的な意味で政治闘争を楽しみながら、有権者が自分の「価値観」を知り、それを選挙にフィードバックする。そんなことができたらいいな、と思っています。

文藝春秋digital【分断と対立の時代の政治入門】2020/3/23掲載