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自由民主党

2020.09.07 News お知らせ

「自民党総裁選『若手の反乱』が意味するもの」

日本人の価値観をめぐる連載、第41回のテーマは「自民党総裁選『若手の反乱』が意味するもの」です。

前回は、安倍政権の支持率急上昇によせて、マーケットも国民も一刻も早く長期安定政権に戻りたいという思いに満ちていることについて振り返りました。

総裁選をめぐっては、はやくも各派閥が菅義偉氏への支持を表明し、世論調査の数字でも菅氏が石破茂氏を抜いて1位を占めました。政局について語るのは記者の方々の役割でしょうが、今回の事象は常日頃政治家に貼りついているわけではない立場からしても、たいへん興味深いものです。

一番興味深かったのは、会見を開いた3派閥や一番乗りで菅氏を支持した二階派が、現状の安倍路線維持に必死であった構図そのものです。派閥が菅氏に雪崩を打った構図からは、安倍総理に対する個人的な忠誠ではなくむしろ、自民党の復活劇の一時代を築き、また自派閥が厚遇されてきた時代の継続を求める姿勢が窺えました。

それと好対照をなしつつも本質においては同じ構造を示していたのが「若手の反乱」です。総裁選実施方式をめぐっては、菅氏に対抗する石破氏や岸田氏だけでなく、自民党の中堅若手を中心に異議が沸き起こり、署名活動に発展しました。署名活動を率いた小林史明青年局長は岸田派ですから、親分のためにひと暴れしようというのは理解できます。しかし、こうした若手の行動が署名活動という形をとったという事実は、第二次以降の安倍政権下に慣れ切った自民党議員の立場をよくあらわしている、とは見えないでしょうか。

武器を持たないでする戦が政治、その究極が政局だとすれば、安倍総理の体調に対する気遣いとはまた別に、戦の臭いをかぎ取った各々の政治家が沸き立ってしまったという背景はあるでしょう。長らく党内野党として苦杯をなめてきた石破氏、禅譲の約束が裏切られた岸田氏はもちろんのこと、各派閥に総理候補が多く控えるなかで、頭を押さえつけられてきた若手がねじり鉢巻きをしたくなる気持ちはわからないでもありません。

しかし、派閥を背負っているわけでもない彼ら若手の集合的な動きはしょせんコップの中の嵐であり、安倍路線の継続を求めるかつてない7割の民意を背景に、観客に見せるための機会主義的なプレーのように映ってしまう。官邸主導が前面に出た安倍政権においては、党が政策を調整するかつてのような機能は低下したと言われて久しいのですが、多くの議員のイニシアチブは「官邸に提言書を持っていく」ことをゴールとしており、そこで初めて起爆力が生まれるという習わしが定着しました。しかし、政策で官庁を動かすために官邸の力を借りるというのならばいざ知らず、党のリーダーシップをめぐる本物の権力闘争のかなめにおいて「署名運動」が切り札なのだとすれば、それは競争の劣化も甚だしいというべきでしょう。

自民党の派閥の権力争いは、誰が総選挙に勝てる顔か、誰がカネや人脈を掌握するか、ということで回ってきたはずです。派閥が仮に、総選挙や民意とは離れたところで暗闘を展開していれば、かつてのような下野まっしぐらの落ち目につながるでしょうが、いまがそうした局面にあたるかといえば、そうでもない。むしろ安倍路線の継続に民意がついてきてしまっているわけです。

もしも、岸田派の中堅若手が岸田氏では勝てないと読み切り、石破=岸田連合でも作って安倍路線の継続に反対し、入閣中の小泉進次郎環境大臣を局外中立に置いたうえで石破総裁を担ごうとするのならば、理屈はまあ通っているというべきでしょう。その場合、万が一試みが成功すれば、ほかの派閥も含めて流れがついてくることになる。閣僚である小泉氏を巻き込むことにもなりませんし、河野氏についても同様でしょう。世間もそれならば理解する。権力選出のルールをめぐる闘争ではなく、大義を帯同した「権力闘争」でなければならないということです。

今回彼らが論点としたのは、いかに地方の声をくみ上げるか、ではなくて、オープンな総裁選をやるべきだ、といういわば形式論でした。非常時の総裁選で各都道府県連に与えられる3票分の投票権は、多くの都道府県では予備選を通じた形で投票先が決まります。通常の総裁選では党員党友票があり、地方票(非国会議員票)比率が今回のような非常時における割合よりもだいぶ大きい(いずれの候補も過半数を獲得できなかった場合に上位2名で行われる決選投票では、党所属の国会議員による投票で決まります)。ただ、党員党友票を入れるためには、党員の票がカネで買った不正な名簿(水増し、二重登録など)ではないことを明確にするための準備が必要です。通常、予定された総裁選は半年前ごろから準備が開始されると言いますが、さすがに半年は不要にしても、不正やそれに基づく各都道府県のあいだの不均衡を避けるためには、2週間だけでは足りないでしょう。

それでも、今回はもう少しだけ時間を取ってフルにオープンな総裁選をやるべきだと私が考えたのは、長いあいだ地方票の支持を得ているとされてきた石破氏と、安倍首相の事実上の後継とが正々堂々と一騎打ちし、抜き打ちや騙し打ちのそしりを受けずに納得のいくプロセスを踏む必要があると思ったからです。そして、もしも総裁選まで時間があるとすれば、3者の政策論争ももっと開かれたものとなるでしょう。

ところが、現執行陣に不満を抱えた中堅若手の議員が唱えたのは、これは石破氏支持を意味するものではない、ということでした。菅氏に対して本気に張り合うわけでもないのに、すでに党則に定められているルールがおかしい、というだけで人はついてきません。加えて苦言になりますが、戦うときは自らの闘いをせねばなりません。菅氏はこれまでいわゆる総理候補ではありませんでしたが、梶山清六氏を担いだりして、さまざまな負け戦を戦ってきたと言われています。石破氏も岸田氏も、長らく自らが総理として出るという意思を明確にされてきた。それは偽りなく自らの闘いです。署名活動のような動きを見るとどうしても、本気に権力を作りに行く気概が見えないと周りの眼には映ってしまう。派閥を作り、維持し、盛り立ててきたさまざまな努力なしに、パブリックアピールだけで首班が担えるわけがありません。
今回はそもそもが、安倍総理の病気による緊急辞任という「お国の一大事」だったはずです。ならば、自民党の今後を担う若いリーダーたちがなすべきことは、本気の戦いを選ぶか、それとも「お国の一大事」の中、限られた範囲でいかに地方の声を活かすかを模索する、そのどちらかだったのではないか、と思います。

残念ながら、メディアはもはや3氏の路線対立よりも「菅政権」がいかなるものになるのかという方に目が向いてしまっています。それは菅氏にとっても究極的には良いことではありません。野党の代表選にも十分な脚光が当たっていませんが、それは日本にとって、良いことではありません。

次回は、新総裁が定まった後にお送りします。

文藝春秋digital【分断と対立の時代の政治入門】2020/9/7掲載