ヒラリー・クリントンはなぜ嫌われるのか
誰が勝つのか誰もわからない
米大統領選が間近に迫っています。米国での選挙戦はおよそ日本とは違って長期戦です。民主党からヒラリー・クリントン元国務長官が、共和党から実業家のドナルド・トランプ氏がそれぞれ指名を勝ち得たのが七月です。党大会の前後は全米が注目しますし、そこでの豪華な顔ぶれのスピーチ、候補の人となりを紹介する見せ場、対立政党に対するののしりあいなどがテレビを賑わせます。
民主党の党大会に登壇した、戦死したムスリム兵士の母をめぐって失言をしたり、ヒラリー氏を追い越せない苛立ちから強がって焦りを見せたりと、トランプ候補が失速したのが八月でした。ところが、トランプは選対に有能な女性を引き入れて穏健化し、ヒラリーの健康不安が報じられたことで情勢は変わりました。この原稿を書いている時点ではほぼ誤差の範囲内の僅差で並んでいます。
選挙制度上、州ごとに選挙人を勝者総取りで選ぶ原則からして、カギを握るのは全米の支持率ではなく、いくつかの接戦州での支持率です。接戦州では、「風」で動く中間層の動向がカギを握ります。ネットやSNSが大きな役割を果たすようになった今回の選挙では、カリスマ的なツイッターユーザーの行動ひとつで運命が変わる可能性だってあり得ます。日本でも、今年はネット発の政治や芸能のスキャンダルが瞬く間にお茶の間に広がった年でした。今の時代は、テレビとインターネットのあいだでニュースが往復しながらしだいに増幅していくことがパターン化しています。つまり、政治的意図を持った発言の切り取りやレッテル貼りが力を持ち、些細な情報にも光が当たりやすくなっているのです。さらには、ウィキリークスの活動のように、サイバー攻撃で不法に得た個人情報や機密情報を誰もが読めるようにネット上にさらしてしまうことの効果も甚大です。そんななか、ヒラリー選対陣営は苦戦しています。考えてみれば当たり前のことですが、普段から失言王であるトランプに比して、優等生としてのイメージが強いヒラリーの方が、ネットの進化によってダメージを受けやすいのです。
ヒラリーに欠けているもの
ヒラリーの弱点は、一言でいえば大衆化と情報化の時代に弱いことです。ヒラリーは、学生時代にキング牧師の運動に影響を受けたといいます。若いころの彼女はすでに圧倒的に有能で弁舌に長けており、弁護士時代も全米を代表する活動家として花開く可能性を十分に持っていた人です。しかし、あくまでも「志」の人なので、くそまじめな正論には強くても、夫のビル・クリントンのような人たらしの才能があるとはいえません。したがって、大衆化の時代にはエリート臭が強い候補として敬遠されるという難点があります。とりわけ今年の選挙は反エリート旋風が吹き荒れていますから、ファーストレディーや国務長官を歴任したエリート女性に対する反感が、信頼に打ち勝ってしまう可能性が高いのです。
二〇〇八年の大統領選予備選においてオバマ候補に敗れ、オバマ支持の演説を民主党の党大会で行った頃のヒラリーは、勢いが頂点に達していました。ガラスの天井を打ち破る女性としての象徴性も、当時はもっともっと新しかったのです。まだ十分若く覇気があって輝いていた八年前に比べ、現在のヒラリーはトランプに存在感負けしてしまう公算が大です。
大統領選の候補者が1対1で行う討論会は、それまでの流れをまったく変えてしまうことがあります。人間と人間をぶつけ、言葉で戦わせるわけですから、勝負は水ものです。しかも、ヒラリーには政治家として討論会が必ずしも得意ではない。すべての問いに対して政策の重点を五個も六個も展開してみないと気が済まないところがあるのです。対するトランプは、発言の中身には疑問符が付くことは多いけれど、表現力は天才的で、人気を博し続けています。人々の本音を代弁するトランプの発言が、ツイッターの文字数やテレビで流すVTRの長さに合わせて効果的に切り取られ、広まっていくと、人々は自分が薄々思っていたことをようやく言葉にしてくれたと感じるからです。
場を支配する能力は、政治指導者にとって死活的に重要な能力です。論理構成能力に長けたヒラリーの力がもっともよく発揮されるのは、彼女に好意的な、熟練ジャーナリストと膝詰めでインタビューに答えているときで、知的な会話ではほとんど誰にも引けを取りません。しかし、トランプは、集団を支配する力を持っています。ミニ集会でも、かつて自らがプロデューサー兼出演者として一世を風靡したリアリティー・ショーでも、トランプは常に集団の王者です。そうしたカリスマは、大衆化の時代には指導者が皆喉から手が出るほど欲しい能力といえます。
情報化時代に弱いヒラリー
情報化は、SNSなどで候補者に関する情報の伝わり方を変えただけでなく、開示される情報の量も飛躍的に増やしました。いまでは、隠したい情報を普通にEメールで送るなど愚の骨頂です。ニクソン大統領の側近が対立陣営に盗聴器を仕掛けて大統領が隠ぺい工作をしたウォーターゲート事件とは比較にならないほど、日々情報が駄々漏れしているのが現実だからです。そのような時代には、取り繕うことが致命的なミスとなることがあります。9・11の記念行事の際にヒラリーが倒れてマンションに運ばれ、その後肺炎でありけっして深刻ではない、としてかん口令を敷いた事件がありました。映像で見ると自分でちゃんと立てない状態だったのに、単に躓いたのだと説明する拙い対応も見られました。情報が検証しにくいかつての時代ならば成立した戦略かもしれません。しかし、誰もがカメラ内蔵のスマホを持つ時代には、情報が得やすく、検証もたやすいので、嘘をついている、情報隠しであるという非難はすぐに広まります。
さらには、ずっとくすぶっていた「メール問題」もある意味、情報化時代に特有の事件といえましょう。私用のメールを仕事に使うことが禁じられていなかった時代もあったのですが、今では職場で扱う個人情報や企業の機密を漏えいしないように、厳しい対策がとられているのが通例です。外交機密を取り扱う国務長官として、深刻な疑惑を持たれたときに、大した問題でないかのように対応するのは危険です。中央のエリートの座に長年座り続けた結果として、世間の変化を機敏に感じ取っていないという印象を与えると思わなかったのでしょうか。
本格派の女性候補のジレンマ
ヒラリーが嫌われるのにはもう一つ重要な要素があります。ヒラリーのような中道の政治家は妥協を生業とします。サンダースのようにイデオロギーで突っ走っても、所詮議会の支持が得られなければ何もできないことを知っているからです。それは、実際に世の中を進歩させようとする人が取る当たり前の選択なのですが、結果として、ヒラリーは現状維持を象徴するような存在となってしまいました。仮にトランプを下して大統領の座を射止めても、ヒラリーがこれから直面する敵は、左右双方に存在します。右派は九〇年代から進歩派を率いてきたヒラリーを憎み切っていますし、左派は妥協を嫌うからです。
左派のヒラリー嫌いよりさらに根深い問題が、女性に対するダブルスタンダードです。女性はこれまで世界最強の軍隊を率いるチャンスを与えられてきませんでした。その点、ヒラリーが大統領を目指すことはすべての進歩派の女性にとって歓迎すべきことであるはずです。しかし、多くの若い女性がヒラリーに反発しているのが現状です。とある有名女優に至っては、トランプは悪だがヒラリーの方がさらに邪悪だとまで発言しています。
日本人の多くは、なぜリベラルな女性がヒラリーを攻撃するのかまったく理解できないでしょう。
ヒラリーに対して寄せられる一番の批判は、「誠実でない」というものですが、本格派の政治家は妥協もするし、地元への利益誘導もするのが当然です。民主党の男性候補が同じような妥協を重ねたならば、同じ非難をぶつけられるかというと、そうではありません。そこには厳然と社会や女性自身が持つダブルスタンダードが存在しており、女性は清く正しくナイーブでなければならないという願望と現実の混同がみられるのです。
世界的には、女性が政治家やトップを務めることは珍しくなくなりました。それにもかかわらず、自ら権力基盤を勝ち取っていった本格派の政治家は稀です。強い男性の権力者の「お気に入り」でもなく、王朝のお姫様でもない女性候補として、超大国のガラスの天井を破ってみせてほしいという気持ちは、私の中にもある期待です。
ヒラリーの外交思想
ヒラリーが大統領になったとすれば、どのような外交政策が模索されるのでしょうか。ヒラリーは、ファーストレディー時代には子供を守る政策や国民皆保険制度など、ことごとく内政のテーマに情熱を注いでいました。それが、ニューヨーク州選出の上院議員となり独自の権力基盤を確立する過程で「外交の人」へと変貌します。大統領を狙ううえで、軍事と外交は欠かせません。内政のテーマのほとんどは議会の力が圧倒的なのに比べ、軍事と外交だけは大統領の権限が極めて強いという伝統があるからです。
ブッシュ政権下で、上院議員時代のヒラリーは外交政策に深く関与し、イラク戦争にも賛成票を投じました。外交政策においても本格派を志向した結果であるといえるでしょう。オバマ政権下で国務長官に任じられると、アジアへの重点政策を実行に移し、日本においても信頼されるパートナーとして歓迎されました。
他方、中東アフリカではリベラルな目的であるにせよオバマ大統領より一、二歩タカ派のポジションを崩しませんでした。リビアでは、空爆を通じてカダフィ政権を倒すことに成功しますが、結果として無秩序に道を開きました。オバマ大統領は、インタビューでリビア空爆の判断を悔いていると告白していますが、ヒラリーは選挙戦中も空爆を正当化する姿勢を崩していません。もちろん、選挙戦中に外交政策上の過ちを認めることはマイナスでしかないという判断である可能性も高いのですが、気になるのは彼女の外交上の判断が国内政治と同様に、経路依存性に基づいていることです。
リベラルなタカ派に見えがちなヒラリーではありますが、実際の動き方はプロの外交官の意見をよく聞く中道の政治家という域を出ていません。テレビなどでの受け答えでも、ほとんどの外交政策において、当たり前の原則に加え、その時々の状況に応じて難しい判断を自分が下すしかないという言い方をしています。もしその場での彼女の判断能力にゆだねるしかないのだとすれば、国民世論をはじめ、様々な環境要因に外交が引きずられていく可能性だって十分あるということです。
トランプ現象に束縛される
対するトランプはどうでしょうか。トランプはある程度体系的な外交思想を示す演説を行っていますが、多くの専門家はその内容に否定的です。確かに具体策に乏しいとか、矛盾点などを衝こうと思えば衝けるでしょう。しかし、実際の演説はアメリカ外交を仕切りなおそうという強い意志が感じられ、決しておざなりなものではありません。聞いていて、私は、「トランプ外交」を考える際に参考になるのは、ニクソン大統領の現実主義外交なのではないかという印象を持ちました。いわゆるニクソン・ショックでは、敵対していたはずの中華人民共和国にニクソン大統領が訪中し、日本に衝撃をもたらしました。それほどのインパクトのある政策が出てきてもおかしくないと思うくらいの野心的な演説でした。
トランプは、冷戦終結後のビル・クリントン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権、バラク・オバマ政権の二十四年間の外交政策に対し極めて否定的です。それは、クリントンの紛争介入、ブッシュの民主化戦争、オバマの経路依存的外交政策のすべてにNOを突きつけたいという欲求からだと思います。同時に、国際協調路線への懐疑も窺えます。
ニクソン大統領はかつて、米ソ冷戦構造それ自体を足かせとして捉えました。ベトナム戦争を南ベトナム任せにせず米国主導で戦うことについても、まるで人質を取られているようなものだと考えました。それゆえ、外交上のフリーハンドを得たくてベトナムから撤退を決め、中国と国交樹立をしたというわけです。いま、トランプは同じような劇的な政策変更を考えているようです。
厄介なのは、トランプの問題提起は米国民の認識の深層にある気持ちをすくい上げたものであり、それが言語化されたことによってさらに覚醒させる効果を持っていることです。一度、揺り動かされ目覚めた感情がすぐに消えるとは考えにくい。米国民のほとんどは、冷戦後これまでも、これからも、西太平洋の局地戦に米国の核心的利益を見出すことはないでしょう。「ヒラリー大統領」は、トランプの指摘する同盟国の「タダ乗り」論についても、中国を軍事的な脅威ではなく経済的競争相手としてのみ見る態度からも、自由ではないのではないかということです。
いずれにせよ、日本の外交防衛政策に影響が出ることは必至です。トランプ陣営からは、NATOを例にとり、防衛費をGDPの二%水準とするという基準が提示されています。日本に当てはめれば防衛費を現状の5兆円から十兆円水準へと倍増するということになります。公共事業をまるっと削らなければ実現できないレベルの不可能性です。しかし、ヒラリー大統領になったとしても、一度火が付いた日本の負担倍増論は消えることがないでしょう。安保法制を通過させて一度済んだと思っていた同盟の調整が、やはり終わっていなかったという現実と向き合うことにもなりそうです。こちらが民主党政権としての継続性を要求したとしても、やはり首脳が変われば違う政権ですから。
日本人が最終的に理解すべきは、外交安保への長期的影響はトランプが勝とうがヒラリーが勝とうが変わらないということです。米国のコミットメントは不変であると言い続けながら形骸化していくことのないように、つまり、最後に梯子を外されないように我々も現実的に外交安保を捉えていく必要がありそうです。(月刊『正論』2016年11月号、2016年9月17日脱稿)