連載・寄稿
2019.02.27 News 連載・寄稿
孤立の時代
米中貿易戦争は新冷戦に発展するのか
米中間の貿易戦争の期限がひとまず先送りされ、長期戦の様相を呈しています。今後、国際政治の最大の関心の一つである米中の覇権争い、あるいは経済的競争は、どのようなところに落ち着くのでしょうか。米中という二大国の狭間で生きながら米国に安全保障の根幹を頼る日本にとって、この問題は死活的に重要なものです。
最近とかく、日本がこれまで認識してきた中国の脅威あるいはリスクをようやく西側先進諸国が認識してくれたという「安堵感」のようなものから、米中対立を試合観戦のように他人事に捉える向きが多いような気がします。しかし、この問題は日本のような米国の同盟国にとって最も影響が大きいのです。本稿では、米中「新冷戦」なるものが本当に起こるのか、米中対立が世界および日本にどのような影響をもたらしうるのかを、つまびらかにしたいと思います。
米中対立を捉える上では、まず二カ国それぞれの国益や国内事情を探る必要があります。中国では習近平政権が権力基盤を維持するうえで、持続的な成長と反腐敗政治闘争がカギとなります。持続的な安定成長が見込めなければ、政権の正統性は低下しますし、反腐敗政治闘争を緩めれば、ライバルの出現を許すことになる。そうした意味で、現状経済にリスク要因を抱える中国としては、米国市場に圧倒的に依存した経済に付け込んで米国が貿易戦争を仕掛けてくるのに対して、正面から戦いを挑めないという事情があります。
しかも、客観的な国益からしても、現在強力な軍事大国であり、中国経済にダメージを与える力を持つ米国に正面から立ち向かうよりは、米国が嫌になって「意気揚々と」撤退するのを待つ方が得策であり合理的であるという考え方が、米国を良く知る中国の専門家の間には存在します。それはいわば、「熟した柿がぽとりと落ちるように」覇権を手に入れようという考え方であり、覇権争いの際に、後発覇権国の側が先に攻撃するインセンティブは実際には少ないとする学説にも基づいています。
他方で、米国を見れば、経済力において中国に負けつつあるのではないかという懸念が貿易戦争をけん引しており、技術覇権を譲らないという固い決意のほどが窺えます。しかし、ここで気になるのは、米国が中国と競争するうえで有している強みがどこにあるのかという点です。米国が中国に対して持っている最大の強みは、自国と同盟国のマーケットを足し合わせた購買力です。その意味合いは、日本をはじめ、米国の同盟国が中国との競争のテコに使われ、また踏み絵を迫られる事例が増えてくるのではないかということです。それが赤裸々に出てきているのがHuaweiやZTEなどの製品に対する安全保障懸念のリスクについての米国の動きです。
日本経済が、比較的高付加価値分野を得意としており、安全保障上米国に依存しきっている以上、踏み絵を迫られた時に日本が米国に付き従う以外の選択肢は存在しません。また、ごく一部の先端技術や安全保障懸念のある分野において始まったそうした囲い込みも、実は政治家が思うよりも速いペースで他の幅広い分野にリスクをもたらす形で波及していくものです。現に、政府調達に限らず、Huaweiの製品についてリスク認識が広まっており、実業に影響を及ぼし始めています。また、米国が同盟国の緩やかな囲い込みをはじめれば、米国市場に過度に依存してきたことによって生じた「脆弱性」を悔いているであろう中国は、自足的な経済圏の構築に血道をあげるはずです。
結果的には、双方の陣営で緩やかな囲い込みが広がっていき、それが日本経済にダメージを与えるであろうことが予想されます。
日本の政治家やメディアが米中間の対立に対して(しばしば喜んで)、早々に冷戦アナロジーを適用しようとすることによる危険は、二方向から生じています。ひとつには、先ほど上で述べた日本経済に対するダメージや逸失利益を過小評価してしまっている危険です。もうひとつは、米国の意思を読み誤り、今後の世界の趨勢を読み誤る危険です。
米国は現在、経済ナショナリズムと安保重視派の連合が時限的に実現しており、同じ中国という対象に異なる目的からアプローチをしています。安保重視派が心を砕くのは、まずは覇権争いであり、軍事技術における競争力、そして同盟国の局地紛争における米国の防衛コミットメントでしょう。これに対し、経済ナショナリストはまず産業の競争力を見ます。彼らにとって同盟国ネットワークの存在は中国に対する強みではありますが、必ずしも防衛コミットメントを高める必要性が意識されるわけではありません。むしろ、同盟国への安全提供には値段がついてしかるべきである(だからもっと負担しろ)という考え方になってしまうわけです。
ただ、中長期的な話をすれば、米中関係は貿易量からして深い経済的相互依存にあり、冷戦期の米ソの貿易量が互いに総貿易量の1%に届くか届かないかであったことを考えると、新冷戦のような状況に移行することはほぼ不可能ではないか、と思われます。反対に、もしそのような状況が生じるのであれば、それは世界経済にとって死を意味するわけです。そもそも、冷戦のような状況が生じるためには相手に対する根強い不信と自らの抱える恐怖が必要です。かつてソ連の共産主義は伝播する性質のあるものとしてたいへんに恐れられていました。しかし、現在はそうでもありません。中国に時代遅れの共産党一党独裁体制が残っていることは、現代の米国社会に十分な恐怖をもたらさないのです。
意識調査から見えてくるもの
そこで、いくつか中国側の実情についても、客観的事実をお示ししたいと思います。2018年末~2019年年頭にかけて日本、中国、韓国において、一カ国につきN=2000の大規模意識調査を行いました。使用したのはインターネットパネル(中国の場合はマクロミル・チャイナ)であり、消費者調査のような体裁で、政治的なことを聞いていることをなるべく意識させない設問設計を通じて実施しました。なお、これまで2014、2017の各年で同じ質問票の調査を行っていたため、回答結果は比較可能です。
以下に簡単に調査の概要を記します。当該調査は、割付方式でサンプルを収集しています。年齢は(20~60代)の5段階、居住地(中国の場合はTierⅠ都市、TierⅡ以下都市)は2段階(結果的に30都市程度になりました)、最終学歴(大卒以上、大卒未満)の2段階です。上記3軸にて定義されるセルごとにN=100サンプルを確保することとしました。
そこでまずご覧いただきたいのが、中国人の各国別好悪感情です。2017年12月の調査と比べると、米国の好感度は4ポイントほど落ちています。しかし、Pew リサーチセンターの調査によれば、米国の同盟国や近隣諸国ではトランプ政権の登場を通じて米国への好感度が半減する例も多く、そのような事実と照らし合わせて考えれば、かなり低い下落率であると言えます。また、実は周辺国である日韓に対して好感度は前年比でおよそ8ポイントほど改善しており、他の回答で得られた指標と照らし合わせて考えると、回答者個人の世帯収入の伸び期待や海外との取引による成長期待などの個人の経済的環境が良い場合に好感度が高まることが分かりました。
つづいて、次のグラフでは中国人の米国産の製品やサービスの消費行動について聞いています。この一年で、消費が控えられるようになってきたことが分かります。米国産製品やサービスを買わないようにした人は少数派なのですが、2017年から2018年にかけては、あまり派手に米国製品を消費しないという動きが出てきました。しかし、それでもさらに念を押しておかなければならないのは、米国製品に対する不買行動は増えてはいますが、日本や韓国に対して不買行動をするレベルと同等ではまだない、という事実です。
また、それに加えて下のグラフが示すように、この米中貿易戦争が激しくなった一年のあいだに、中国人の米国に対するプラスのイメージ要素(例:信用できる、親切であるなど)がまるで変化していなかったのです。これは、米国のソフトパワーが依然として圧倒的な強さを持っているということでもあるでしょう。重要なのは、青とグレーの線で示しているように、米国に対する各要素に良い点を付ける人が非常に多いということです。こうした要素の中でどの要素が好感度に効くのかについても分析できるのですが、いったいに言えることは、日中韓各国どれをとっても、好感度に効く要素は共通しているということです。それは、先ほど述べた個人的な所得増の期待による楽観傾向であり、国際的な取引を行っているかどうか、そこでちゃんと儲けられているかということであり、また下のグラフに列挙されたイメージでいえば、信頼できるとか親切であるという指標なのです。
好感度をそれ程左右はしないけれども、中国人が米国をイノベーティブである、豊かであるなどと認識しているという事実は重いものです。それらのイメージはある種の憧れに転化しうると思いますが、冷戦期の米ソ間で互いにそのようなプラスのイメージが抱かれでいたかと言えば決してそうではありません。相手国に対する恐怖を形成する土壌はまだ存在しないのです。
日本が向かう道
さて、以上のように新冷戦という形で語られているイメージがそこまでクリアカットなものではないことを確認したうえで、日本に話を戻したいと思います。米国に対する脆弱性を抱えているというのは日本も同じです。なぜなら、先ほど述べたように米国は中国との経済覇権争いの中で、同盟国に様々なシーンで踏み絵を迫ってくるであろうからです。むしろ、日本の場合はEUという経済圏を持たず、米国に安全保障を依存しきっている分、もっとも脆弱であると言えます。
しかし、これまでの国内における議論の中で圧倒的に多かったのは、米国にしっかり物申すべき、という立場でした。趣旨には同意しますが、これは自らの脆弱性についてはまるで意識していない態度なのです。反対に、日米同盟の強化の必要を感じつつも脆弱性の穴を埋めようという考え方はまだ少数派です。後者の考え方に従えば、同盟を堅持しつつ、自国が自主的な防衛能力を高めるべきだという意見になるでしょう。
日本社会はこうした両面を意識する態度に欠けているのかもしれません。中国に関しても、安全保障上の中国リスクが甚大なものであることを認めつつ、経済的には中国と深い紐帯を築いていかなければならないという自覚を明示的に持つ立場は多くないように思います。色々嫌なことがあるし、リスクがあるから全否定してしまう、というのではそもそも外交は成り立ちません。米国自身が中国に対して経済的な期待と脅威認識という両面の感情を持ち、中国も米国に対する憧れとライバル意識を持っているように、日本の取るべき道も中国べったりか、反中かという単純な選択肢には帰着できないはずなのです。
日本政治をめぐる最大の分断は、いまだに同盟と憲法9条をめぐる分断であり続けています。しかし、平和主義陣営はもはやかつてのような形では存在しません。親中という立場がもはやほぼ成り立たなくなっているからです。考えておきたいのは、親米でもなく、親中でもなく、親韓(および北朝鮮)でもない立場と言うのはいかなる国際的文脈に位置付けられるものなのかということです。それは単に孤立主義でしかありえません。事態が悪化すれば、外国人恐怖症にも容易に転化しうるでしょう。
孤立主義は日本全体に忍び寄ってきている感情です。それは先進国共通の病であり、日本のような島国においてはもっと簡単に列島を覆うことができる感情です。米中の競争の狭間で生きていく日本が国際感覚を持ち続けることができるかどうかが問われていると思います。
(初出「論座」、2019年2月27日脱稿)