連載・寄稿
2019.12.17 News 連載・寄稿
三島由紀夫と憲法
日米安保は、敗戦国日本にとって最大の国論を二分する論点だった。その時代は終わりを告げつつある。三島はかつて、こう言っている。
「ぼくは自民党の福田赳夫にもいったんだが、マイホーム主義者・自民党支持者イコール安保条約支持者と考えるのは間違いだ。両者の間には安保に対する大変な許容量の差がある、そこをよく考えないと自民党は必ず失敗するとね」(『文藝春秋』昭和44年1月号)
三島は自裁したことからして、暗く思いつめたイメージを抱かれがちだ。しかし、彼がこの「文藝春秋」や」パンチOh!」などで語ったり書いたりするときの政治の捉え方はもっと落ち着いていて、普遍的に物事を捉えている感じがする。いま、没後50年たって三島の言葉を振り返ったとき、2020年の日本はずいぶんとその頃から変化したのだということが良く分かる。三島が上記の分析をした1969年は、確かに国民の多くが日米安保に対する抵抗心を持っていたのかもしれない。しかし、現在の自民党の中でも保守寄りの安倍政権は、そのようなナショナリズムによる日米安保への抵抗感というものを持ってはいないし、私の行ってきた世論調査からみても、世代交代と共に早晩そのような抵抗感は消え去る運命にある。
日米安保が国民を分断しつづけるのはせいぜいあと10年から20年であり、その後の日本は数多くの先進国と同じように、内向きかグローバリゼーションよりかという分断、あるいは社会的な価値観をめぐる分断に寄っていくだろうというのが私の見立てだ。
三島由紀夫は、日米安保による安全と独立をめぐるジレンマを、国連警察予備軍および国土防衛軍の創設と両者の厳密な切り離しを通じて達成しようと試みた。当時の日本社会にとって、米軍の要請によって創設された警察予備隊を前身とする自衛隊が、国内の暴動やデモの鎮圧に使われるのかどうか、あるいは総理大臣ではなく米国の命に従ってしまったらどうするのかは重要な論点だったのであって、三島の懸念は杞憂に終わったが、もっともな点がなくもない。
もしも、日本の統治機関が外国勢力と繋がってしまっていたらどうするのか。この問いは、正面から問われたことはなかったが、当時の日本の知識人からすれば切実な問いであったに違いない。それは、長らく独立国家としてやってきた日本が敗戦国として直面した、自律性をめぐるアイデンティティの問題だったからだ。しかし、実際には米国は「正しい」政策志向を持つ帝国であったがために、幾つかの無体な要求はあったにせよ、自由主義や民主主義、人権の概念を強化する方向に働きかけこそすれ、日本はソ連や中国の傘下にあるよりはよほどましであったことには変わりはない。
三島が提起した国土防衛軍と国連警察予備軍の創設とすみ分けは、二つの重要な問題提起を含んでいた。
ひとつは、日米安保という非対称な二国間同盟を、国連憲章のもとでの集団安全保障体制の下部構造として位置付けようとしたことだ。国連憲章が保証する自衛権の行使は、弱小国にとっては救いにならない場合が多い。しかも、集団安全保障体制のもとで国連軍を形成し、侵略された弱小国の救援に向かった事例がほとんど存在しないことも確かであり、仮に実現したとしても時間がかかり、救援にかけつけたときまでにはダメージは確定している可能性が高い。だからこそ、国連憲章は集団的自衛権を認めることによって、個別的自衛権による自衛の限界を超えた後の国連軍派遣と救済までの時間的ギャップを埋めようとしたのである。
三島はこの点を正確に理解していたがゆえに、日米安保条約上のとりきめを実行できるような国連警察予備軍を「警察的任務」のために作ろうと考えたのである。日本は現行の憲法下では海外派兵はできない(ことに当時はなっていた)から、国連軍の戦闘部隊として救援に駆け付けることはできないが、例えば朝鮮戦争の再発時には米軍を後方支援するだろうし、また日本が侵攻された場合には米軍に助けられることになる。
翻って、国土防衛軍は三島にとって、ナショナリズムと国防意識を保持するために必要なものであった。確率は低いが本土が侵攻されたときのために、陸上自衛隊の9割をこちらに移すという提案である。そして、領海と領空を守るための海自、空自の一部をこちらに振り分けるという考え方であった。
これは奇天烈な提案ではない。米国における州兵は歴史的には大英帝国からの侵攻に備えるための民兵に起源を持つし、メキシコなどの地続きの隣国を蹂躙したことはあったものの、基本的には本土防衛やネイティブ・アメリカンとの戦闘のための郷土防衛軍であった。大英帝国の植民地であった米国にとって、常備軍が治安出動するというのは、大英帝国の赤い制服の陸軍が植民地人である自分たちを抑えつけ取り締ることを想起させる危険な事象であった。だからこそ、いまでも米国は有事には州兵が軍隊に組み入れられるが、平時の治安出動は陸軍ではなく州兵にまかされているのである。
しかし、現実には日本はそのような綺麗な切り分けをすることなく、自衛隊の治安出動にも防衛出動にも慎重な態度を崩さないことで、問題を乗り越えてきた。ただ、将来的には陸上自衛隊の存在意義が問われる中で、人口減による人員不足も相まって、陸上自衛隊の大半の隊員は災害出動とテロ対策を主な任務とする州兵的な存在に移行していくのではないかと私は考えている。戦争のテクノロジーの変化が、これだけの人員の存在を正当化しなくなったとき、政治はふたたび三島のいう「作法」「儀礼」を必要とする国家としての軍のあり方、国防意識のあり方に目を向けるだろうからである。実際に、フランスではそうした方向に揺り戻しが起きている。
二つ目の、重要な三島の問題提起は、シビリアン・コントロールである。日本は長らく旧軍出身者を排除し自衛隊を抑えつけることが、シビリアン・コントロールの目的となってきた。三島の書く文章の隅々に、そうした時代の雰囲気が顔をのぞかせている。三島が自衛隊に対する不満をもっていたのも、そのような扱われ方に甘んじていたがゆえだろう。しかし、それは敗戦後しばらくのあいだ必要だったことにすぎないのであって、現在の日本に三島の懸念した二重権威(米軍と日本政府)は存在しない。とりわけ安倍政権になってからは、総理や国家安全保障会議が自衛隊に対する統制を強めたところがある。日本は敗戦国特有の課題から、先進国並みのシビリアン・コントロールの課題に移行しつつあるのだ。
三島が生きていたとしたら、今の日本を見て何を思うだろうか。自衛隊の中の雰囲気もかつてとはだいぶ異なっているだろう。官僚化し、しかし地道に政府の厳正な統制のもとで自らの役割を担っている自衛隊のあり方は、中庸な落ち着き先として悪くないのかもしれない。何よりも、変わったのは日本ではなくて世界だったのである。敗戦後、日本がプライドを消し去ったと考える人は、国際情勢を視野の外に置いた日本についてだけの議論をしがちだ。20世紀後半から2020年までの世界はパックス・アメリカーナの時代であり、西側陣営が提携を強めていく時代であった。その初期を見ていた三島が感じた課題と、パックス・アメリカーナの終わりに差し掛かった現在の私たちが感じる課題は、全く異なるものだ。
戦乱の世の復活とはいかないまでも、パックス・アメリカーナの後退によって、ふたたび日本が自立の度合いを高めなければいけない時代に入ってきたことは確かである。そのとき、日本はどのような「軸」をもって国際平和と国防を考えるのであろうか。
日本国憲法の前文には素晴らしい理念がうたってある。私はほぼ異存はない。諸国民の公正と信義というのは、いわば西側陣営内の結束と互いに対するフェアネスに読み替えることができるだろう。この憲法を書いたのは米国なのだから、自由主義国としての彼らの理想が詰まっているはずである。そこに仮に追加するべき思想があるならば、インドのような非同盟諸国が主張してきたように、国家主権を尊重し、互いに中立的で不介入であろうとする態度だろう。日本が取るべきは、米国のイラク戦争のように相手国に侵攻して政権を倒して民主化する態度ではなく、相手に影響を与え続け関与し続けることで理想を実現しようとする態度である。9条1項は、そうした主権平等の原理原則を実現するために不可欠な、侵略戦争の禁止が書いてある。
しかし、日本の交戦権を否定し、陸海空軍の保持を禁じる憲法9条二項は、乗り越えられてしかるべき条項だと私は思う。日米安保が日本の左右両極に刺さった棘であり続けたのは、日本がまさに軍の保有を禁じられたのに、警察予備隊、ひいては自衛隊を創設したからである。自衛隊を自分たちの持ち物と思わず、米国の道具と見た。それゆえに、自衛隊に対する配慮も統率の意思も欠けていた。
現政権に反対する人は、こんな総理に正規軍を持たせては危ない、と考えるだろう。逆に、今の野党に反対する人は、そこから総理がでた時に、軍をその人が指揮することを見るのは耐え難い、あるいは危ない、と思うだろう。しかし、好悪の感情を超えて機能する軍でなければ、それはきちんとした制度とはいいがたい。
民主国家とは、三島が言うように、人間の本性をむき出しにすればおそろしいことになるからこそ、制度を通じて縛ろうという考え方なのだ。三島は既出のコラムのなかで、“日大解放区の恐ろしさ”を取り上げこのようなことを言っている。
「青年は人間性の本当の恐ろしさを知らない。そもそも市民の自覚と言うのは、人間性の恐怖から始まるんだ。自分の中の人間性への恐怖、他人の中にもあるだろう人間性への恐怖、それが市民の自覚を形成してゆく。互いに互いの人間性の恐ろしさを悟り、法律やらごちゃごちゃした手続きで互いの手を縛りあうんだね。そうした法律やら手続きやらに、人間性の怖れ惜しさにまだ気づかない青年が反発するのは当然と言え当然何で、要は彼らに人間性の本当の恐ろしさを気付かせてやりゃあいい。気づいたものと気付かないもの、市民と青年――これは永遠の二律背反だね。」
このあと、三島は既に気付いたものの中にも青年期へのノスタルジアから青年にシンパシーを寄せるものが出てきたのは困ったことだと苦言を呈するが、問題は年齢ではないことは現在の日本を見ればわかるだろう。三島のなかにあるこの大人性は、日本国憲法の将来を考えるうえで、一番参考にしなければいけないものだと思う。「儀礼」を重視し、国としての誇りにこだわって自ら抗議の自殺をした三島は、なぜそこまで型にこだわったのか。それは、国家や国民が凶暴な人間性を解放するのではなくて、平和を希求し、有事に備え続ける姿勢を保つために必要なのが「儀礼」だと彼が思い詰めたからだろう。三島の行動は反動的で短絡的だったが、平静な時の彼の文章を読めば、主権国家を成り立たせる精神の分析において、彼は間違っていない。
没後50年の三島に報いることは、現在の私たちが直面する政治化した課題に三島を利用することではない。彼のもっていた大人性と真摯さをともに私たちが受け取って、激動の時代をどう生きていくかを考えることこそが、彼に対する供養になるだろう。
(初出産経「iRONNA」、2019年12月17日脱稿)