2025.07.22

自公大敗の理由は何か

“次は誰か”

2025年参院選は与党大敗に終わり、それにもかかわらず続投を表明した石破茂総理が党内から突き上げを受けている。実際、自民党はいま岐路に立たされている。直近で見れば、連立拡大が可能かどうかが重要だし、それに野党各党が応じるどうかは今回の選挙で見えた各党の限界(例:立憲・維新)を踏まえた、次の衆院選での各々の損得計算に依存するだろう。ただ、それは短期の課題に過ぎない。中長期的に見れば、自民党がどのような価値に拠って立つ政党なのかを見定め、支持層とのつながりを再構築する作業が必要になるだろう。
短期的目線と中期的な目線双方に効いてくるのが、石破氏の次に誰を総裁に据えるかである。小泉進次郎氏を総裁にして世代交代を旗印に掲げ、変化を訴えるか、それともスター性のある進次郎カードは温存しておき、小林鷹之氏を擁立し世襲ではない新世代をもって有権者の信頼回復を狙うか。あるいは前回の総裁選の第一回投票で一位を獲得したものの二位・三位連合に敗れた高市早苗氏を総裁に立て、保守票の動員を図るか。
このような局面では政権運営の安定性が見込める林芳正官房長官、加藤勝信財務大臣などを立てても、大きな効果は見込めず無駄遣いになるだろう。茂木敏光氏は両氏と同じく経験豊富で通商交渉などにおいて安定感を見せるが、こちらもまた変化の要素に乏しく、世代交代、女性、保守いずれのカードを切ることにもならない。

大敗の原因

与党大敗の原因を一言でいうなれば、「ウェッジ・イシュー」(日本語で言うと「争点」に近いが、もっと国を割る大きな論点のことを意味する)の欠如である。減税、外国人政策、社保改革、いずれをとっても野党の打ち出したイシューに反応するだけで、何がウェッジ・イシューであるのかを自ら定義することができなかった。
そういってもピンとこない向きもあろうから、自民党が反論材料に挙げそうな「争点」を例示しておこう。①物価高対策での給付、②関税交渉での経験値、③産業政策、④消費税廃止に反対する財政規律--。いずれもウェッジ・イシューにはならない。①給付は物価高対策における方法論にとどまるし、④財政規律においては立憲民主党や日本維新の会と比べてそこまで異なるものではない。②関税交渉での経験値は与党であったというだけでそもそもイシューですらなく、③産業政策は成長戦略ではあるが、国民民主などが好むアジェンダでもあるし、価値観の伴う政策として打ち出されているわけではない。
要は、統一教会問題から政治資金問題に至るまで、ここ3年自民党に対する負の認識ばかりが蓄積し、内外に閉塞感が満ち満ちる中で、新農水大臣のコメ不足を解消するための備蓄米の放出が前任者よりもうまくいったという「実績」だけを握りしめて、ウェッジ・イシューを一切掲げずに参院選になだれ込むという愚挙を行ったということだ。

「いったん下野すれば大丈夫」なのか

なぜそんなことになってしまったのか――。最大の要因は、安倍長期政権がいかにして可能となったのかを自民党自身がわかっていないことだと思う。ナイーブなことに、民主党政権を「悪夢の三年間」だったと言ってさえいれば、政権交代を阻めるのではないか――いやむしろ、自民党内の反石破勢力からすれば、ここで下野してしまえば野党の連立政権がかつての民主党政権と同じく混乱に陥り、国民は自民党を求めて戻ってくるだろうという驕りがあるからだろう。
人々の記憶というのはたいてい事後に修正される。民主党政権が3年間続いた後に、安倍長期政権の自民党黄金期が続いたものだから、それがまるで歴史の必然だったように思っている人が多い。しかし、民主党政権が「悪夢」だったのは、冷や飯を食わされた自民党や、突如ロビイング相手が変わった企業や団体に取ってのことに過ぎず、有権者からすれば、どうも首相がくるくる変わり、短命政権が続くなあという印象でしかない。政権交代直前の自民党自身が短命政権の連続だった。
民主党は、公約こそ多くは実現できなかったものの、むしろ実績のない“政権素人”であったがゆえに、外部の知見が簡単に通りやすく、ゆえに官僚主導の政策が変更される率も高かった。3.11東日本大震災が起きたことは別として、「何かが動いている感じ」は社会にあったのである。自民党が比較的早く政権に返り咲けたのは、当時の野田政権の「敵失」によるものでしかない。

安倍政権の強み

安倍政権は、その「何かが動いている感じ」を引き続き演出しつつ、より卓越した官邸主導を機能させ、首相のリーダーシップが際立つ外交や金融政策などの分野で、自ら望む方向に国を引っ張っていった。さらには比較的小刻みに解散総選挙を打つことで、民意を再調達し、そのたびに争点となるウェッジ・イシューを設定した。
ウェッジ・イシューとは、国を二つに分断する論点。その最大のものが安保法制であった。当時、メディアは安倍政権を次のように見ていた。選挙の勝利で得た政治的資源(ポリティカル・キャピタル)を、その時々でやらねばならぬ不人気な法案に割き、それによって下がった支持率を上げるため、また選挙で民意を調達しなおしているというものだ。しかし、そこには「なぜその時々の選挙で勝てたのか」という視点が欠けている。
安倍氏は、自民党支持者の中にある核となる価値観に訴えることで選挙を戦った。それは、日本が優れた国として見られたい、かつての高度経済成長期のような国際的存在感を取り戻したいという気持ちであり、憲法を改正したい、安全保障現実主義を貫きたいという意志である。炎上した「こんな人たち」発言も、「左派に発言を妨害され不当な報道をされる我々」という被害認識を掻き立てたし、時にすさまじい誹謗中傷を受けながらも、この国を率いるのだという意志が有権者の信認を取り付けていた。
それに共感できない有権者はもちろんたくさんいる。しかし、自民党支持層は安倍政権期間中、ずっと律儀に投票所に通い詰め、自民党に票を投じ続けたのである。対して、野党は消費増税に反対しても、老後貯蓄問題を持ち出しても勝てなかった。安倍政権が作り出したウェッジ・イシューの方が、圧倒的に強力なイデオロギー的分断だったからである。

「分断」を作るのが民主主義

ウェッジ・イシューの設定は、敵を作り、疎外しようとするがゆえに国全体を率いる指導者の態度としては望ましくないと考える人もいる。しかし、8,9割の有権者が常に政権の施策を支持するとしたら、その国は独裁制に似てくるのではなかろうか。
中国共産党を見ればよくわかる。中国にはいわゆる民主国家としての選挙はないが、すさまじい政治競争が存在する。全ての意味ある政治的プレーヤーが中国共産党に従っている以上は、その競争は派閥、地縁血縁、人間関係をめぐる壮絶な恩義と忠誠、不信と復讐のやり取りにならざるを得ない。中国ではビジネスをするにしても、取引相手の出身地域から人間関係までを幅広く情報収集する慣習があるが、これはその人の出身背景が分からなければ、重要な「文脈」が捉えきれないからである。
政党の存在意義のひとつは、アジェンダ・セッティングにある。これは、幾分か上品な言い方だ。その裏側の現実を直截に表現するとすれば、民主主義においては、陣営化し、動員し続けることが民主主義の存続自体に必要なコストだという言い方ができる。有権者は知識があろうがなかろうが、広大な可能性の海の中から、何かを選ばなければならない。海図を持たない有権者を陣営化し、セットメニューを提供し、価値観の対立を持ち込み、それによって政治の熱を生み出す。大衆を動員し続けることが、エリート支配、政治体制的には寡頭支配に陥るのを避けるために必要なことだからである。

派閥解体とエリート化

政治家を目指す人々は、上昇志向に基づき、最適な行動を取ろうとするだろう。その人間的な努力の方向性が単なる人間関係の構築なのだとすれば、それは壮大な宮廷政治になってしまう。民主主義における政党の役割とは、人間関係を超え、統制原理としての政治的競争に置きなおすことである。自民党が派閥を解体したのは愚策であり、その弱体化を早めることにしかならなかった。
肥大化した政党の中で、複雑な人間関係を派閥の対立の形に置きなおすことで、少なくとも競争が生じる。同時に、その競争にはどうしても理屈をつけなければならないから、「政策集団」と自ら名乗る。そうやって、自民党の中でさえ、お題目としての政策の切磋琢磨と、実態における権力競争の機能を併せ持った人材育成メカニズムが機能していたのである。上昇志向を持つ政治家たちに、派閥のためという存在意義や行動原理を与え、その中で一定の集団的行動パターンや価値観を養う。それを解体してしまったものだから、長年与党であったという存在意義しか自ら訴えられなくなっているのである。
しかし、その一方で混乱に陥りつつも各議員は党規模大に広がった言論空間で自らの主張を届かせなければいけない。だから、「石破総理は辞任せよ」の大合唱になるわけだし、メディアも政局報道でアテンションを稼ごうとするが、石破氏が辞任するかどうかは党内の問題であって、有権者全体には関係ない。世論が半ば否定した自民党がどう復活するのかは、非自民支持層や無党派層からすれば与り知らないことだ。
いま、自民党の政治家が見ている風景は有権者が見ているものとは全く異なる。彼らは有権者との距離が開き、支持層からさえ「エリート化」してしまったと見なされている。連立与党の公明党も同様である。長期にわたる与党経験が彼らを大衆や支持層から一種離れたものにしてしまった。
仮に出直したいと思うのであれば、首班を変えるとか、外国人政策を掲げるとか、そんな小手先の問題ではないことを深く理解したうえで取り組むべきだろう。

*次回のブログでは、国民民主党や参政党が躍進した背景と、日本におけるポピュリズムについて解説します。