2025.09.29

世代交代という節目――「自立する日本」から、「内向きの守り」と「日本ならでは」の組み合わせへ

「戦後からの脱却」

戦後長い間、保守の政治家や言論人は「脱戦後レジーム」を繰り返し掲げてきた。その意味するところは幅広いが、要点はおおまかに三つに集約できる。第一に安全保障や経済面での自立の模索、第二に敗戦の記憶をめぐる位置づけの見直し、第三に国家としての実行力の立て直し――しかもアメリカ主導の国際秩序の内側でそれを進める、という狙いである。これらは政策的含意にとどまらず、語りそのものが重要だった。

岸信介氏、佐藤栄作氏のように、戦前をエリートとして生きた指導者が政権を担っていた頃、彼らには「厳しい周辺環境の中で自主自立を死守する」という感覚が体に染みついていた。パックス・アメリカーナのただ中でも、その感覚が政策選好を微妙に方向づけていたといえる。

日本政治を読む上で四つの視点

そこで、こうした脱戦後や日本の自立を語る上で、どういった要素が重視されてきたかを、四つの視点に分けてみたいと思う。

A. 気風・徳目:日本に規律、公の精神、責任感を回復すること。
B. 戦略的な意味における自立:同盟運用、抑止、経済安全保障などを通じ、国際秩序の重要な一角を占めること。
C. 記憶をめぐる修正と名誉ある地位の回復:敗戦国としての扱いや歴史認識をめぐる再交渉を内容とする。
D. 国家の権力行使を忌避しない:法制度、予算、組織、人事を伴う実装力の強化を目指す姿勢。

恒久的に使える分類ではないが、内外にオーディエンスやカウンターパートがいるという条件を念頭に、なぜ政治家の語りが変遷していくのかを読み解く手がかりになる。

石原慎太郎氏――外側からの挑発と内政での限界

『NOと言える日本』にアメリカが敏感に反応したのは、石原氏が国家中枢の外縁に身を置く立場で、象徴性の高いA/Cの論戦を仕掛けたからだ。彼は東京都知事としてはD(大きな戦略的着想の実装)に取り組んだが、B(戦略的な自立)をつくり込むうえで必要な国の中枢ポストには手が届かなかった。彼の言説の限界は、思想よりも立ち位置に由来するものであった。

安倍晋三氏――A/CからB/Dへの重心移動

政治家として名門の家系の出であるがゆえに、安倍氏は同世代より濃く戦前的伝統に触れていた。そのせいもあって第一次内閣ではA/Cが目立ったが、長期安定政権を得ると、重心はB/Dへと移った。オーディエンスを海外に広げ、国内では国際標準に照らした制度を整え、G7諸国とトランプ政権との橋渡しを務め、「リベラル国際秩序の守り手」としての主導的役割を果たした。

高市早苗氏――調整の試みと限界

高市氏は前々回の総裁選で、安倍氏の後押しで総裁ポストに挑んだものの、岸田文雄氏に敗れた。彼女の語りは、靖国問題を中心にC(記憶をめぐる政治)の色が濃い一方で、当初からB/Dへの関心を見せている。対照的に恐らく個人的性格やジェンダー的特性からA(道徳的・叙情的なトーン)の語りは弱い。そのポピュリズムゆえに、リベラルからはステレオタイプ的な右派、つまりA/C中心と見られてはいるが、右派思想家というより「実務志向」タイプに見える。

ただ、彼女が安倍氏亡き後、広範な支持をまとめることができているかというと、そうとは言いがたい。奈良の鹿の話でテレビカメラの先の(そしておそらくその断片映像が流れるであろうSNSやYouTubeの先にいる)聴衆の心をつかみつつ、Cを強く打ち出す姿勢は、現段階では支持の間口を広げるつもりがない意志の表れであるとも読める。生まれながらの後継者でもなく、女性で、派閥文化の中で同志が少ない彼女にとって、安倍氏流の「A/Cから始めてB/Dへと裾野を広げる」方法は難しいのかもしれない。むしろ今回は、負け方の美学にこだわっているのではないかとさえ見える。すなわち、「被害者としての保守」という物語を自ら作るため、あえて実像より右に振ってみせている可能性もある。

小泉進次郎氏――「戦後の申し子」

父・純一郎氏は同世代としてはきわめて現代的な人だった(である)。知覧の特攻隊の手紙に涙すること自体はいわゆる「軍国主義」的感性ではない。英国人が今なおテニソン『軽騎兵の突撃』を愛誦しても、ヴィクトリア期の軍国主義を完全肯定しているわけではないのと同様、こうした常識的な意味での人文主義的態度は、それこそ戦後の人権を重んじる文化が育てた感覚だからだ。小泉父子にまつわるエピソードはいずれも戦後秩序的な人物像を示している。

同時に進次郎氏は、日本が積み重ねてきた実際の貢献に比して、国際的な評価や地位が低いことにも敏感である。「環境問題はクールで、魅力的(sexy)であるべきだ」といった発言は国内で冷笑を招いたが、そもそもこれは同席する相手に敬意を込めた引用表現であるし、国境を越えた意思疎通としては直感的で通りがよい表現に過ぎない。要するに彼は、黙って靖国参拝を続けることでCに片足を残しつつ、当初からBを狙い、そのためにDを動かす(どちらかといえば菅義偉氏の関心領域)型だといえる。

世代交代という節目

世代交代が進むほど、「自立する日本」という課題は後景へ退く。50歳未満の有権者は、一部を除けば歴史認識の争いにも、冷戦期型の安保の左右対立にも、強い情念を注がないからだ。日米同盟はもはや当たり前の存在にすらなっている。日本に繁栄をもたらしたパックス・アメリカーナは受け入れられ、安倍氏の戦後70年談話や歴史和解外交がそれを後押しし、未来志向の見方が(少なくとも対欧米では)定着した。中韓に対する反発の度合いも年長世代よりは弱い。

その一方で、若い世代の関心は身近な暮らしに向かいがちだ。高齢層と比べ、気候変動と災害、自由貿易、戦争と平和といった広い視野はもちにくい。ほどほどの快適さと経済停滞の組み合わせが、内向きの国民性を生み出した。

自立論から「居心地の防衛」へ

世代の入れ替わりが進むにつれ、従来の自立論は影が薄くなり、住みやすい国と地域を守りたいという保守的な気分が前に出る。これは何も日本に特有の現象ではなく、先進諸国で広く見られるものだ。日本の外国人住民の割合はまだ約3%だが、欧州型の移民への不安が早くから表面化するのは、欧州の混乱がSNSで即座に伝わり、「同じ轍は踏みたくない」という予防反応が先に働くからである。参政党式の粗雑な議論を避けた方がいいとはいえ、外国人労働者の受け入れ政策の戦略的デザインがこれまで十分に行われてこなかったことは確かである。

政策上の注意点――慎重な孤立志向への傾き

日本の政治文化は「調和」と「場の空気」を重んじがちである。米欧が内政やウクライナ戦争で手一杯の局面では、日本は外向きに旗を高く掲げるよりも、足場を固め、それを守る方向へと傾きやすい。江戸時代の日本の長い鎖国は技術の進歩を遅らせたが、平和な社会を実現し、外患の到来も遅らせたとも理解されている。江戸時代をめぐる認識は、実際のところ日本社会では完全に割れているが(日本人価値観調査2025より)、江戸時代を豊かな時代として描き出す人ほど、内向的な政策選好から現代を見る傾向にあるのである。

そのほかの顔ぶれ

林芳正氏のような国際感覚に富む知識人、茂木敏充氏のように「現状維持」と「改革」の二兎を追える実務タイプは総理候補として貴重な存在である。若手で保守の旗を掲げる小林鷹之氏も、仲間を集めることで頭角を現しつつある。とはいえ、従来からの「変化」の色合いがもっとも濃く、かつお役所色が薄い有力候補といえば小泉氏と高市氏であり、二人の異なる立ち位置は自民党の支持層の今後の行方を占うものとなるだろう。

結び――新しい争点軸を据え直す

どちらが総裁になるかは、結局のところ短期的な問いにすぎない。敗戦国としての地位、記憶をめぐる政治のような古い争点の重みが下がった今、日本には新しい政治の分断軸が必要とされている。若い世代は党派的な所属意識が年長世代よりも弱いため、今後も個別の政策メニュー(アラカルト式)で政党を選び、政党間を行き来するだろう。長らく安定してきた日本の政党政治は、一気に流動化しかねない機運を秘めている。

いまの自民党は、公明党以外との本格的な連立政権運営ができる保証がないし、大陸欧州諸国のような絶え間ない与野党交渉のような経験もない。新総裁の下で連立の拡大が起きたとして、それが移行政権にとどまるのか、それとも新たな改革の風を受けて復活に向かうことができるのかは、わからない。

いま日本の政党と有権者に求められるのは、何を軸に政治競争を行うのかについての幅広い合意である。内向きになりがちな快適さをいかに維持しつつ前を向き、揺らぎやすい国際秩序の中で日本らしい立ち位置を確保するか――「戦後の次の段階」こそ、これからの十年に日本政治が取り組むべき本題である。