連載・寄稿
2019.04.02 News 連載・寄稿
改革政党「維新」のポテンシャルと課題
大阪のW選
2015年の大阪府知事・大阪市長のW選から3年半。大阪維新の会はふたたびW選に打って出ました。しかも、一年に二度も選挙をしなくて済むようにとの理由から松井一郎氏が府知事から市長候補に、吉村洋文氏が市長から府知事候補に入れ替わるクロス戦が選ばれました。直接的な理由として松井氏、吉村氏らが挙げているのが、公明党が約束を違えたことにより、都構想再挑戦への道を阻まれたから、というものです。こうした事情をつぶさに追っている人は少ないでしょうが、何をめぐってせめぎあっているのかは明らかでしょう。そもそも維新運動が二重行政の解消をめぐる都構想運動であることは、いまや誰しもが理解しているからです。
したがって、W選の報道の序盤でこそクロスW選の意義が問われたものの、もはや論点は維新政治を続けるのか、それとも反対の方向を目指すのかに移行していると見なすべきでしょう。重要なのは、その維新政治とは何であり、反対の方向とは何であるのかという中身の問題です。本稿では、維新のこれまでの運動を振り返ったうえで、独自意識調査で明らかになった有権者の政策志向を数値的に示しつつ、維新政治の何が争われているのかを明らかにしたいと思います。
時間軸を通じて振り返る
2019年のW選を分析するうえで重要なのが時間軸の概念を取り入れることです。大阪維新の会は2010年に結成された地域政党で、今年の四月に9年を迎えます。橋下徹氏の府知事当選はそれに先立つ2008年です。弱冠38歳のタレント知事として当選した彼が、2009年に成立した民主党政権との距離感を調整しながら永田町を脅かし続け、日本の風雲児かつ総理候補として国内外から注目されていたのがおよそ2013年までの期間でした。しかし、中央政界で立ち上げられた日本維新の会が石原慎太郎氏らと提携したあたりを境に全国規模での求心力は低下します。そして全国政党としての日本維新の会が内輪揉めした結果、結局求心力は大阪の地域政党へと戻っていきます。
一度は求心力を失ったかに見えた大阪維新の会は、本来の活動の大義である都構想に集中し、2015年5月の住民投票ではおよそ1%の僅差で敗北を喫します。しかし、半年後の11月に行われた大阪の府知事選、市長選では、橋下氏が出馬せずに吉村洋文氏を擁立して応援する中で松井氏、吉村氏の二候補が圧勝しました。住民投票に敗れた直後に橋下市長(当時)は政界引退を宣言し、都構想反対派が対案として掲げていた大阪会議を実施しましたが、大阪会議は討議課題について合意することもできず、実質的に府市協力のメカニズムとして機能することはありませんでした。そして、有権者はこれまでの維新政治の信を問う選挙で、維新政治を「終わらせない」ことを選んだのでした。
日本維新の会が迷走し、維新が住民投票に力を注いでいたちょうどその間、中央政界では第二次安倍政権が盤石の長期政権を築きます。「改革」の旗印を掲げていた民主党政権が諸々の理由から失敗したとき、いったんは維新などに流れた無党派の改革支持層の票は、同じく「改革」を掲げた安倍首相の率いる自民党に注がれます。国政の方での維新の党勢の低迷は、第二次以降の安倍政権が改革の旗印を曲がりなりにも持っていたことの裏返しでもあったわけです。安倍政権はまだ盤石ですが、超長期政権の後というのは、イギリスのサッチャー政権しかり、政治的資産を食いつぶしてしまい後継首相が長続きしないものです。安倍政権後の自民党の安定性は案外脆いものだということは考えに入れておくべきでしょう。
小さくはなりましたが、党内対立を繰り返し離合集散していった民主党系の野党に比べると、地域政党としての大阪維新は組織統制が際立ち、長期目標を共有しており、求心力を失っていません。橋下氏は、大方の予想に反して弁護士活動と在野の言論人に帰ることを選びました。そのことからも分かるように、彼は持ち前の強気さとは裏腹に、いわゆる個人の権力に対しては実に恬淡としたタイプです。維新が、彼個人を持ち上げる運動ではなく組織運動足り得た条件もそこら辺にあると思われます。ただ、いずれにせよスター性のある政治家に欠ける日本政界にあって、「橋下カードを持っている」維新がほかの野党に比べて求心力を形作りやすいことは確かでしょう。
つまり、観察対象としての維新がいまだに重要な位置を占めているのは、安倍政権後の2021年を射程に置いたとき、あるいは仮に総裁四選などということがあるのならばさらにその数年先を見据えたとき、無党派層に刺さる「改革政党」として維新が引き続き存在感を発揮できるかどうかがかかっているからなのです。だからこそ、維新がこのW選を生き残れるかどうかは、大阪のみならず日本政治にとって大きな意味を持っています。
求心力を保てた理由
さて、時間軸に沿って振り返ると、大阪維新の会が政党組織としての求心力を保ちつつ、一定の民意を惹きつけてきた手法が分かってきます。はじめ橋下氏が府知事になったとき、強烈に効いたメッセージは大阪の地盤沈下という問題意識であり、反東京感情としての地域ナショナリズムでした。維新への支持には、官僚の高待遇や汚職、既得権をめぐるルサンチマンが確実に影響しています。維新政治が首長の給与カットなどの「身を切る改革」という清貧主義を取ってきたのも、そこを見誤らなかったからです。
そのような強烈な地域ナショナリズムに支えられることなしに、またルサンチマンを前面に打ち出さない、全国規模の運動としての国政の維新が振るわなかったのは、ある意味で当たり前のことだったと言えるでしょう。
なぜ、有権者に国政の維新の主張が響かなかったのか。それは、既得権排除と同じように維新運動のコアにあったはずの、自助・自立の発想に則った地方自治という考え方や、そこから当然生じる都構想という大義が分かりにくかったからでしょう。「地域主権」というような概念については、大阪においてさえ一般的な有権者の理解が進んだわけではありませんでした。つまり地方自治のあり方をめぐる立場の分断は、まだ全国規模で有権者を分断するには至っていないのです。
維新が運動の過程で学んだ教訓も重要な点です。住民投票の敗北により、抽象的な機構改革案は分かりづらいということが自覚されました。また、住民投票の直前には対抗陣営周辺から典型的なフィア・ポリティクス(恐怖を梃子とした政治キャンペーン)が展開され、街の名前がなくなる、保育や医療などのサービスが失われ不便になるなどのメッセージが打ち出されて効果を上げました。そのようなフィア・ポリティクスに対する対抗策としては、ルサンチマンの動員だけでは不十分であるということが明らかになると、維新は大阪会議が事実上機能しないという証拠固めをしたのち(半年で開催は3回のみで、実質的な議題にも入れませんでした)、先に改革の実感を持ってもらうことで有権者の支持を得ようとする方向へ舵を切ります。
私は都構想をめぐる住民投票のときにも、2015年のW選のときにもそれぞれ評論を寄せていますが、この僅か数カ月の間に維新が遂げた変化は大きなものだったと解釈しています。大阪維新は、統治機構改革の原則論や、詳細な行政的論点をひとまず措いて、改革を前に進めるか元に戻すのか、かつての大阪市政に戻していいのか、というメッセージに的を絞ったわけです。
とりわけ、反維新感情の強い大阪市に関しては、都構想よりもそれによって実現する具体性のある提案に落とし込んだメッセージングが図られました。彼らは5月の住民投票の敗因をきちんと分析できていたのだろうと思います。有権者に二択を迫るという意味では、住民投票も2015年W選も同じですが、2015年W選に関してはもっと「分かりやすい二択」が迫られたのです。その結果、大阪市長選挙の出口調査では自民支持層の3割、無党派層の6割が当時はまだ知名度の低かった吉村氏に投票しました。
よく維新を完全なるポピュリズムであると分析する人がいますが、私はそれは誤った見方だと考えています。むしろ維新の求心力は、大義はあるが実現するかどうかは分からない長期目標としての「都構想」という理想主義にあるからです。2015年の住民投票敗北以来の大阪維新の動きは、こうした理想主義を「二重行政の廃止」という言葉に象徴させつつ、改革の果実を先に提供することでポピュリズムにより配慮した理想主義へと変化させていったことに尽きると思います。
他方で、理想主義からくる対立手法や改革原理主義的な発想に対する反発は当然生じます。以下で論じるように、維新政治に対する反対は、実は維新の体現する合理主義をめぐる賛否よりも、人間関係や政治手法としての維新に対する反発によって規定されているのです。
意識調査から見えてくるもの
2019年3月、山猫総研はインターネットのパネルを通じて大阪府と大阪市の住民に対し、年代別の割付による意識調査を行いました 。まず冒頭でお断りしておかなければいけませんが、調査のサンプル数は大阪府市で1200以上を確保しているものの、インターネットユーザー、パネル調査、という制約がかかっていますから、通常の新聞社が行う電話調査のような代表制は確保できず、無作為抽出もできません。しかし、設問数を多くとれるほか、本調査の分析手法が通常の政治問題に関する世論調査よりもユニークな手法を取っているため、セグメントごとの分析や人々の本音を焙り出す分析が可能であるという利点があります。
この意識調査の主な特徴は、過去の投票行動(都構想住民投票、2015年W選、2017年衆院選の比例代表)に従って回答者を5つのセグメントにより分けていることです。対象となる全ての投票で維新を支持している「維新岩盤支持」層。衆院選(比例)以外では維新を支持している「おおさか維新支持」層。選挙ごとに投票先が揺れ動いたり棄権を交えた「浮動票」。全ての投票で維新以外を支持した人々のセグメントは「岩盤反対」層です。「政治的無関心」層は、該当する全ての投票で棄権もしくは記憶なしの人びとを振り分けます。この政治的無関心層はおそらくほとんどの選挙で投票に行かない人々です。
セグメントごとに分析した結果、面白い知見が得られました。地方政治では維新を支持し続けてきた層は男性が7割と圧倒的に多く、岩盤支持層は60代以上の高齢者がボリュームゾーンでした。それも影響して世帯年収は低めで、収入増の見込みも少ないのです。景気上昇の実感は必ずしも高いわけではなく、しかしだからこそ大阪の地盤沈下を憂慮し、変化を求める気持ちが強いことが伺えます。一般的に保守性が強いの傾向にありますが、それでも社会的価値観はリベラル寄りに移行しつつあるので、女性、LGBT、外国人などの論点に関してはだいぶリベラルです。
浮動票の特徴は、かつて民主党や社民党に投票してきたリベラル層が多数含まれていることです。その結果、浮動票は安全保障・経済・社会政策でリベラル寄りになっていますが、維新評価との相関を分析してみると、維新が取り込めるのは安全保障リアリズムと経済成長を重視する層に集中していることが分かります。浮動票のなかで維新支持との相関が高い要素としては、民営化に対する好感度も挙げられます。維新の対抗陣営が行う民営化に対するフィア・ポリティクスは、あまり追加的効果を上げないだろうと思われるのはそうした理由からです。「民営化」という単語を恐れる票はすでに取り切っているからです。
維新の政策のうち、確実に評価に繋がっているのは二重行政の解消であり、民営化、万博、IR(総合リゾート施設)の誘致です。IRに関してはまだ絶対評価の度合いが低いのですが、今後カジノ以外の総合リゾートの全容が明らかになっていくにしたがって、万博のような支持を獲得していくことになるでしょう。そして、高校無償化や知事・市長などの報酬カットは、それをよしとする人々の人数(絶対評価)は多くとも、具体的な投票には結びつきにくいという特徴もわかりました。人びとの感情に訴えるのはルサンチマンだということを維新は知っているからこそ、公務員の高すぎる待遇を批判し、自らも「身を切る改革」を実行しているわけですが、身を切る改革に対する評価は投票には直接結び付かないのです。
本稿では意識調査で行った分析の一部として、上と下に大阪維新の政策の方向性に関わる設問への維新岩盤支持、おおさか維新支持、浮動票の評価をまとめたものを折れ線グラフで示してみました 。賛成の上限値は2.0、反対の下限値は-2.0です。
こうしてみると、まずは表面的な絶対評価としての維新の施策に関するセグメントごとの意見の差が伺えます。実は、これらのばらつきは、景気実感や大阪の状況全般に関する実感を除けば、さほど大きな差がありません。二重行政の廃止という言葉が受けるかどうかは維新支持をめぐるもっとも重要な分水嶺となっていますが、他方で、実際に成功した改革(地下鉄民営化や外郭団体削減、不要地売却など)に関しては、(岩盤反対層も含め)だいたいプラスの評価を与えています。維新による二重行政の廃止というシンプルなメッセージングと、改革の果実を体感してもらうという手法は効果を上げており、岩盤支持層でなくともそれに共感する層は幅広く存在するということです。
反対に、維新が取り込めない層は、浮動層に関して言えばまずは安保政策が左よりの人、経済成長を重視しない人であり、高額の税金を富裕層や法人にかけたいと思う層です。岩盤反対層に関して見てみると、民営化に関して、交通インフラのように具体的に利便性を実感するまでは、「危険だ」という言説に共感する傾向、バラマキ政策志向、行政コスト削減には反応するが二重行政解消には反対であるという傾向が窺えます。しかし、彼らにしても、維新政治の重点の一つである外郭団体の削減や不要地売却については、総合評価としてプラスに捉えているのです。維新に反対する層には、政策目標よりも変化そのものを嫌がる傾向や、成長よりも分配志向が窺える結果でした。
今回行った意識調査の分析結果は、住民投票での敗北以降の大阪維新の戦略転換がある程度功を奏したことを裏付けています。橋下徹氏というリーダーを失ってもなお、維新が大阪に根を張っている理由は、国政における自民党支持者らが、安保や経済の基本姿勢で親和性の高い維新に対して、地域的な理由から支持を寄せているからです。それはこの10年で大阪が様々な観点から良くなったことを実感し、10年前に戻ることをよしとしない人びとが与える現状肯定・改革継続への支持であったということになります。
浮動票全体の傾向を見たとしても、維新政治と逆行する方向への誘引力は感じられません。二重行政の廃止というキャッチフレーズは、維新政治の代名詞となったゆえに、良くも悪くも維新に対する評価とリンクしていることが窺えます。維新が体現する、対立を恐れずに変化を求める文化は、都構想のような大目標への理解よりも幅広く浸透しています。維新政治に問題点を感じる層にしても、それはほとんどの場合具体的な地域政策の方向性ではなく、対立や変化を嫌気することが理由なのです。
維新が2019年W選を通じて生き残れるかどうか。それは大阪市民の中でも変化に対して若干及び腰な層や、危機感の乏しい層に対して、将来にわたる改革の実利のイメージを伝えられるかどうかにかかっています。維新の多くの政策の方向性は結果的には支持されています。勝敗は、その大きな方向性と将来ビジョンをめぐる信任投票として位置付けられるかどうかにかかっているということです。
(初出「論座」、2019年4月2日脱稿)