トランプ大統領の一般教書演説を読み解く(付録:ロシアゲート疑惑をめぐる続報)
一般教書演説は非常にトランプ的
トランプ大統領の一般教書演説が終了しました。メディアは早速演説を分析し、強い米国、強い経済を訴えながらも、外交政策で新味に欠けているとか、あるいは米国民の結束を訴え超党派の取り組みを訴えながらも他方で国を分断させている大統領として語られています。あるいは、トランプ大統領にしては比較的お行儀が良かった、原稿自体は無難だったという意見も見かけられました。
私は、ちょっと違う風にこの演説を見ています。つまり、この演説自体は(出だしのフォーマルさを除けば)非常にトランプらしいものだったと。ちょうど一年前の就任式に刊行した拙著『「トランプ時代」の新世界秩序』やこのブログでもたびたび申し上げてきた通り、トランプ政権の本質は、中道の経済政策を保守的なロジックで語るというもの。その背負っている歴史的な使命は、グローバリゼーションや資本主義に対する支持を民主主義の枠内で再び取り付けるという作業です。
グローバリゼーションがもたらす移民や不法移民の増大が巻き起こす不安、中産階級の相対的地位の低下に対処しつつ、国民の定義を明確にする。米国だけが内包している国民化のプロセス、日々の同化政策と多様な人々の共存を強化する。同時に、資本主義のメカニズムで当然行われるべき「産業の新陳代謝」で生じる歪みや痛みを、新産業を圧迫せずに和らげてあげること。政権が身にまとっている生々しい白人優位主義や田舎の保守性の尊重と言った「保守的なロジック」を引きはがしてしまえば、やろうとしていることはそれに尽きます。
国民化政策の本音
中道の経済政策を行い、誰も置き去りにしないというメッセージを強力に発信するためには、国民の定義をあらかじめ厳格にすることが必要です。幼児期に親に連れられて不法入国し、米国以外の生活を知らない不法移民の子供を救済することで、すでに国民化している人々に門戸を開きつつ、叔父叔母いとこなどの新たな家族呼び寄せに恩恵を与えないことで流入量を抑える。移民の政治経済学というのは非常に複雑なものです。「移民というものがいったいに国の経済政策にとってプラスである」と言うことはできない、とハーバード大学のジョージ・ボージャス教授は指摘しています。それは米国政治の「ポリコレ」的にはかなり危うい発言ですが、実はその通りです。
トランプ政権がやろうとしているのは、移民受け入れ大国としてのお題目は維持しながらも、実質的に国家の負担になりそうな移民を制限していくというやり方です。これは実現できるとしてもかなりの力技が必要。そのために、移民政策をめぐる言説が政治的な闘争の様相を帯びてくるのです。今回の一般教書演説では、わざとらしく不法入国ギャングの犠牲者となり殺された女子高校生二人の両親たち(しかも黒人)が選ばれて出席していました。あまりに見世物的に過ぎるではないか、と思われる方もおられるでしょうが、それほどあからさまにやるのが米国流であり、かつトランプ流なのです。
逆に本来なら民主党が喜ぶべきメッセージもちりばめられていました。刑務所の見直しと犯罪者の更生を促進し、セカンド・チャンスを与えることで社会復帰を支援するということ。あるいは家族の育児や介護のために仕事を休まなければならない人への有給休業制度の導入。
国民とそれ以外を峻別し、国民であればできの悪い人も、不運な人も、困難を一時的に抱えている人も含めて救済に道を開くということ。これは本来民主党の価値観に沿うメッセージであったはずです。しかし、多様性をめぐる論点が米国リベラル政治の頂点に躍り出た今では、トランプのようなオールドなタイプは民主党に居場所がなくなったわけです。
ゆえに、共和党から選出されたトランプは公務員、軍人、市民的奉仕活動をする人にスポットライトを当てます。共和党下での国民像というのは、キリスト教徒を中心とした神を信じる人々であり、自発的に公に奉仕する人であり、強い軍事政策と強い経済政策を支持する人々であるというわけです。もちろん、その過程で腐敗したりやる気のない公務員をクビにすべきというくだりを入れこんで、公務員の団体票をもつ民主党に嫌味を言い、釘を刺すことも忘れていません。
「俺たち」が行う分配であり社会的包摂(この場合≒同化政策)である、ということが徹頭徹尾明らかにされた一般教書演説でした。
徹底して内政の政権が持つ脅威認識
もうひとつ、押さえておくべき点は、やはりこの政権は徹底して内政の政権であるという点です。最も強調された成果は税制改革であり、その波及効果としての経済インパクトでした。実際、アップルなど大企業はこぞって雇用を増やし、賃金をあげています。成長産業は次々と投資を増やしていくことになるでしょう。設備投資でなければ、自社株買いも行われる。それを通じて株価は上昇します。文句なしに、レーガン政権期以来の経済史に残る税制改革であることは明らかです。
では外交安保政策についてはどうだったか。トランプ政権は外交安保政策でさしたる成果を上げていません。演説で北朝鮮に時間を多く割いたのは、政権の最初の一年で北朝鮮政策を重視しすぎたからです。成果をすぐに挙げられないトピックを選び、しかも中国頼みで迷走した結果、北朝鮮に関しては強硬策をとるという一般論を展開するほかはありません。制裁では核・ミサイルの放棄というゴールにまではたどり着けないからです。
米国による斬首作戦が3月にもあるという噂が方々で流されていますが、それは日韓でその後起こるであろうテロの脅威を過小評価しているばかりか、中国の影響をさらに朝鮮半島で拡大する結果を呼び起こすだけです。韓国で大きな犠牲が出れば反米感情は強まるはず。しかも、北朝鮮の金正恩を斬首したところで、その後の秩序で唯一現実的なのは中国の傀儡政権を樹立すること。中国にとって韓国における米軍のプレゼンスは本当に邪魔なもの。いま北朝鮮が南に対して行っている種々の妨害工作や浸透工作は、戦争後に減るどころかむしろ影響力を増すでしょう。対米不信が強まった韓国が、中国の軍門に降るのは時間の問題です。なぜわざわざカネと人命を費やしてまで中国の覇権を強化したいのか理解に苦しみます。結局のところ、軍事作戦が破滅に終わらずうまくいったとして、せいぜい竹のカーテンが38度線から対馬にまで下りてくるだけのことですから。
演説では中国やロシアをライバルとして名指ししたトランプ大統領ですが、演説の重心はあくまでも内政や通商政策にありました。内政と外交安保が重なるのが、実はホームランド・セキュリティです。つまり、ISなどのイスラーム原理主義の脅威が強調されているのは、グローバルな文脈というよりもむしろ、国内への浸透を退けるという意味合いにおいてなのです。
いまロシア人、中国人、そしてISのテロリストの写真を並べて、米国民に誰を一番怖いと思うかとアンケートをとったとしましょう。ほぼ全ての人がISを選ぶに決まっています。そんなことは実験をすればすぐ結果が出ることです。概念からする中国脅威論は、米国で浸透力を持たないということは頭の片隅においておくべきでしょう。また、ロシアゲート疑惑が取りざたされている今ですが、だからこそ、米国民が本当にロシアを脅威と捉えているのかどうか。思い込みで語るのは危険です。
トランプ政権の外交安保政策は選挙戦中から一貫した脅威認識に基づいています。2016年4月末のトランプ候補による外交演説で示された、米国の国益に対する一番の脅威とは、イスラーム原理主義でした。その認識はホームランド・セキュリティ・ファーストとでも呼ぶべきでしょうか。
二番目は米国の経済力の相対的退潮傾向。その観点から、中国は経済的競争相手とみなされました。軍事的にはサイバーセキュリティやAI、ドローン技術に投資し、宇宙の軍事利用をためらわない。核兵器はいざとなれば「使える核」を目指し、ミサイル防衛で核の恐怖の均衡を脱し、自国に犠牲を出しにくい無人機やドローンでの秘密作戦を多用する。この方針は、残念ながらオバマ政権後半の路線をさらにむきつけに強化したものにすぎません。
外交政策におけるオバマ政権との決定的な違いは、「そんなもん知るか」という地域紛争を見捨てる態度であり、多国間協調を重んじないエコノミック・ナショナリズムでしょう。それはアメリカのソフト・パワーを毀損することでしょう。確かにそうなのですが、だからといって我々のように残された西側の同盟国がふんぞり返って嘆いているだけではすみません。アメリカが努力を放棄する以上は、TPP⒒のように、日本がリーダーシップをとらなければならない場面が多くなるからです。自らが住むアジアの平和と秩序を維持するためには、アメリカが提供している防衛の肩代わりも必要になってくることでしょう。言ってみれば、このトランプ政権の新味は、G7諸国をもはや優遇しない、という第二次世界大戦後秩序の否定でもあるわけです。G7諸国の一員としては、一時代が去りつつあることを深く自覚して事に当たるべきでしょう。
ロシア疑惑は今どうなっているか
では、最後にロシアゲート疑惑がどうなっているのかについてみてみましょう。ワシントンポスト紙では連日報道が出ていますが、ここのところ「消えたFBIメール」事件が賑わっています。大統領選挙期間にトランプ陣営がロシアと共謀があったかどうか調査するFBIの高官が反トランプ的な言動を繰り返していたのですが、同高官がFBI内で交際していた他の高官とのテキストメッセージが削除されていたとのこと。しかも、削除された同テキストメッセージの期間が大統領選直後からムラー特別検察官が任命される前日までであること。FBIは、単にシステムのアップグレードと展開の過程で消去されたものであると説明していること、などがワシントンポストの記事で共和党の上院議員の指摘として紹介されています。
個別の疑惑はかなり込み入って来るので、全体像を見失わないことが大事ですが、共和党が印象付けようとしているのは、FBIは元々クリントン陣営に肩入れしており、反トランプであったということ。反トランプ感情剥き出しの捜査官が不適切な形で捜査を行い、しかも、捜査過程の情報が隠ぺいされている可能性が高いということでしょう。要は、米国の情報機関や捜査機関の信用を失墜させ、現在も進行しているロシア介入疑惑が政治的動機に基づく国策捜査であると主張したいのでしょう。
情報委員会に所属する共和党議員が作成したFBIの行動を評価したメモの公開をめぐって、さらに続報も出てきました。同メモには、国家機密にあたるような情報がいろいろと含まれており、FBIをはじめとする情報機関は公開に反対していますが、行政のトップであるはずのホワイトハウスは公表に前向きであるといいます。トランプ氏本人に近しい者達からすれば、情報機関が政治的に偏っているという印象を作り出すことができるからです。
そもそも、ロシアの選挙介入問題に対して、特別捜査官を任命された目的は、政治的、党派的な争いではなく、法律と証拠に基づいて客観的に何が起きたのかを判断しようという目的に基づいています。「法の支配」の原則を体現するためです。共和党及びトランプ政権が試みていることは、同問題を司法から政治に取り返すための工作です。司法というのは有罪か無罪か白黒ついてしまう世界ですが、民主政治というのは戦いなので数が多い方、声が大きい方が勝利するからです。
ロシア介入疑惑の何が問題か
とはいえ、「ちょっと待て、ロシア介入疑惑とはそもそも何で、何が問題なのか」という方も多いでしょう。この手の問題は、木を見て森を見ずになる危険がとても高いので、もう一度そこから整理しましょう。
まず、ロシアが米国の大統領選挙に介入する目的をもって組織的に行動していたことは間違いのないことと思われます。プーチン大統領はトランプ大統領に対して否定していますが、米国の情報機関は一貫して介入があったと主張しています。介入の舞台となったFacebookやTwitterなどからも介入と思われる事例があったことが報告されています。では、具体的に何をやったのか。実は、ソーシャルメディアにハッキングしたわけでも、選挙結果を直接操作するような違法な介入を行ったという話ではないのです。ある意味、通常の方法でソーシャルメディアを利用しただけなのです。どういうことか。
ソーシャルメディアにおいて利用者がどのような情報に接するかについては、独自に練り上げられたアルゴリズムが存在します。すごく簡単に言うと、利用者が過去にどんな情報を検索し、どんな情報を消費し、どんな友人を持っているかに基づいて、その人が興味を持ちそうな情報をアルゴリズムが判断し、利用者の趣味嗜好に偏った情報が流れるのです。例えば、クリントン氏の個人サーバー利用問題でいくと、クリントン氏の行動は問題ありと思っている人が利用するソーシャルメディア上では、同種の意見を持つニュースサイトやブログがより多く表示されるようになるのです。党派の文脈に置き換えると、こうした偏った情報に接し続けることで、共和党的な発想を持つ利用者はますます共和党的に、民主党的な発想を持つ利用者はますます民主党的な考え方に、無自覚なまま凝り固まっていくということです。
ロシアはこの構造を利用したのでした。米国で共和党の候補者が関心があると思われる政策について、なりすましのアカウントを作成してひたすらツイートし、ブログ記事や偽ニュースを発信し続けたのです。しかも、米国の選挙はとてもローカルですから選挙結果が接戦になると思われる州に対して集中的に作戦を実行したというわけです。その結果、オハイオ、ペンシルバニア、ミシガン等、大統領選の帰趨を決定づけた地域の有権者はロシアの流した意図された情報に接することとなったというわけです。選挙結果は大接戦だったわけですから、一連のことが選挙結果に影響を与えたというのはほぼ間違いない、ということになるでしょう。
それを受けて開始されたムラー特別検察官の捜査が重要なのは、トランプ政権の中枢へと達する可能性が高いからです。既に、安全保障担当の大統領補佐官であったフリン氏はロシアとの接触の有無をめぐる偽証に関しては有罪を認めているといいます。安全保障担当の大統領補佐官は、超大物です。フリン氏の上には、実質的に選挙を仕切っていたトランプ氏の娘婿のクシュナー氏とトランプ氏本人くらいしかいません。実際、ワシントンでは、大統領本人への聴取があるのか、その際、政権は協力するのかということが活発に議論されています。
特別検察官の捜査の焦点は、大統領サイドからの司法妨害があったかどうかです。法律的な構成要件を満たすかどうかは検察官の判断ですから予断をもってコメントはできませんが、一般常識的にいえば、捜査の責任者であったFBIのコーミー長官を解雇し、ムラー特別検察官の解雇も検討していたというわけですから、「司法妨害しようとしていたに決まっているだろ」ということかと思います。要は、問題が司法の領域で判断されるのか、政治の領域で決着するのかの違いです。
米国政治の混乱を見て、大変だなーという感想を持つことは否定しがたいですが、現代の民主政治にとっては非常に大きな教訓を孕んでいることは間違いありません。とりあえず2点のみ指摘したいと思います。
まず、ソーシャルメディア利用者として振る舞う形で行われる外国からの介入に現代の民主政治はとても脆弱であるということ。この点は、米国同様に日本もたいへんに脆弱であろうと思われます。永田町でも霞が関でも、そういうテーマが取り上げられないのは、単に情報感度が鈍いからなのか、めんどくさい論点を提起してくれるなということでしょうか?
次に、我々の社会を構成するプロフェッショナルの機関の信用を貶め始めると、それは留まるところを見失う可能性があるということです。トランプ政権が政治的な生存本能の結果として行っているのは、いわゆるエスタブリッシュメント組織への継続的な攻撃です。
選挙期間及び政権1年目の焦点はメディアでした。我々は、米大統領が主要メディアをフェイクニュースと罵り、相手にしないという異常事態にもはや慣れてしまっています。今後、焦点となるのは捜査機関であり、情報機関でしょう。これらの機関の弱体化は、米国の国益と米国が支える国際秩序にダメージがあるでしょうから、日本にも直接的に影響があることでしょう。(はてなブログ「山猫日記」初出)