トランプ現象解題(1)ースーパーチューズデー決戦前夜
決戦前夜
米国大統領選は決戦を迎えようとしています。これまで、民主・共和両党の候補者を決めるために4つの州で予備選挙が行われました。民主党はヒラリー・クリントン候補、共和党はドナルド・トランプ候補がそれぞれ3勝しています。現地時間の3月1日(火)は、これまでで最大の13州において投票が行われるスーパー・チューズデーです。大いに盛り上がってきた大統領選も前半最大の山場を迎えます。成り行きによっては両党の候補者が決定的となる可能性があります。
トランプ氏については日本のメディアでも大きな関心をもって報じられてきました。ところが、トランプ現象に対する理解は表面的なものに留まっています。同氏の傍若無人な振る舞いや暴言の数々が取り上げられることはあっても、有識者のほとんどは「困ったものです」というのみでした。ポピュリズムや排外主義という言葉をあてがって批判することはあっても、その本質と向き合おうとする試みは少なかった。
もちろん、有識者の多くはトランプ氏が予備選を勝ち抜き、決戦前夜に共和党支持者の実に半数の支持を得る状況を予想していませんでした。トランプ氏以外に残された有力候補は、主流派の支持を集めている右寄りのルビオ氏と、保守強硬派の支持を集めるクルーズ氏です。スーパー・チューズデーの決戦の後も、2/3ほどの州はまだ投票を行っていないわけで、両候補にも勝機はあるのですが、その可能性がどんどん少なくなってくるのは間違いないでしょう。であるからこそ、ポピュリズムや排外主義というレッテル張りを超えた、トランプ現象への真摯な理解が重要になるのです。
アメリカ政治の分断
トランプ現象を理解するためにはアメリカ社会における3つの変化を理解する必要があると思っています。それぞれの変化は、50年間の変化、20年間の変化、8年間の変化という3つの時間軸の中で進行したものです。それぞれについて見ていきましょう。
50年間というのは、1965年から2015年の間を指します。米国で公民権運動が盛り上がった時代です。19世紀半ばの南北戦争以後、名目的には平等を達成した黒人達が実質的な平等を求めて立ち上がり、南部諸州における人種差別隔離政策の撤廃を勝ち取りました。それは、ベトナム戦争が激化する中での変化でもありました。
公民権運動は、保守的な価値観と制度を温存したい南部諸州への連邦政府の介入という形を取ったことから、米国政治の構造に根本的な変化をもたらしました。歴史的に南部に地盤を有し、各州の独自性を大切にしていた民主党が弱体化したのです。それは、白人中心の社会を守りたいという人種の力学に基づくと同時に、連邦政府と州の関係性という米国内政治の力学を反映した変化でした。以後、南部と後に中西部が圧倒的な共和党地盤となり、北東部と太平洋岸の諸州が民主党地盤となる現在の構造が形成されます。
20年間の変化とは1995年から2015年の間の変化であり、クリントン政権期の前半に共和党が議会を席巻したときに起源をもちます。共和党は1994年の中間選挙において上下両院を抑え、それまで何十年も続いていた民主党優位の議会構成をひっくり返しました。そのときの変化は、共和党の勝利を主導した下院議長の名を冠してギングリッチ革命と呼ばれます。この時代における複雑な経緯と曲折を経た変化を一言で表すならば、社会政策と経済政策のカップリングです。
ギングリッチは共和党の諸派を保守的な社会的イデオロギーを前面に出すことでまとめ上げたのです。中絶反対、同性婚反対、マイノリティー優遇政策(アファーマティブ・アクション)反対、環境問題への懐疑、銃保有の保護などの諸政策には、キリスト教的で白人中産階級的な価値観が貫かれていました。重要だったのは、これらの社会的価値観を反映した政策が「小さい政府」の言説と結びついたことです。
それは、公民権運動以来の米国政治のリベラル化が連邦政府によって主導されたことに対する拒否反応でした。連邦政府はリベラルであり、すなわち敵であるという発想から「小さな政府」が求められたのです。それは、グローバリゼーションの荒波から白人中産階級の地盤沈下が進行していた中で起きたのです。中低所得者の白人社会は、社会的な価値観を媒介として自らの階級利益に反する経済政策を支持し続けているのです。
最後の8年間の変化とは、オバマ現政権期を指しています。過去8年の間に米国政治の二極化は決定的となり、リベラルとコンサーバティブ(=保守)の間の乖離はまっとうな対話を不可能にするまでに至っています。オバマ政権の下で医療保険改革や同性婚容認などのリベラルな政策が実現する一方で、不人気なイラク戦争の余波を受けた一時期を除いては議会では共和党優位が定着しています。このようなねじれ現象を受け、議会共和党は徹底した妨害主義を採ります。この妨害主義の一部が人種的な動機に基づいていると解釈されたことから、リベラルの側から強烈な反発を受けているのです。その間、全国レベルではリベラルな州はますますリベラルに、保守的な州はますます保守的になっていきます。
もう一つ重要なのが米国における人口構成の変化でした。有権者に占める非白人割合の継続的な増加です。従来から言われていた共和党の非白人層での不人気が2012年の大統領選挙において一つの臨界点に達しました。共和党内は非白人層への浸透できず、反オバマ感情の高まりを勝利へと結びつけることができなかった。その原因に黒人票やヒスパニック票の取り込みが足りないことにあるのは明らかでした。米国政治の常識からすれば2016年の大統領選挙では野党共和党が有利なはずなのだけれど、人種構成の変化によってその見込みが危ういと観測されたのです。
米国政治の分断は持続不可能であり、共和党の苛立ちが頂点に達した中で現れたのがトランプでした。トランプ現象については、分断の要素を強調する意見が大半であり、分断を加速するものとして否定的に語られるのだけれど、果たしてそうなのか。トランプ氏個人の存在感に幻惑されずに構造の理解に努めたならば、それは米国政治の分断を乗り越える試みとして捉えることもできるのではないか。以下はトランプ現象をつかまえるための試論です。
トランプ現象を形成する4つの要素
トランプ現象の本質を見極め、現在進行形で拡大するその影響の全体像を把握することは難しいことですが、私には、以下に掲げる4つの要素が重要なのではないかと思っています。
第一は、90年代に進行した社会政策と経済政策の組み合わせをディカップリングするということ。つまり、保守的な社会政策と結びついていた「小さな政府」の経済政策と切り離すということです。実際、トランプは保守的なレトリックを使っているだけで、その社会政策が従来的な意味において保守的であるのかさえはっきりしません。それは、米国政治の分断の本質をリベラルな政治的言説と、保守的な政治的言説に求める発想です。分断しているのは言説であって、政策ではないと。右派的な言説で、中道の経済政策を売り込む余地があるのではないかということです。そうすることで、白人の中低所得者層の支持を集めることが可能になるのです。
第二は、下層カーストの創出です。トランプが最も憎まれ、かつ、有権者心理の醜い部分をついている点が反移民の感情を掻き立てている点です。不安が高まる中産階級に対してより下層の存在(カースト)を提示することに絶大な効果があるということは歴史が繰り返し証明してきた悲しい真実です。しかも、不法移民というスケープ・ゴートに焦点を当てることは、白人票を固める以上の効果を持つかもしれない。ヒスパニック層の多いネバダ州の予備選挙においてトランプがヒスパニック票でも圧倒的な支持を集めたということは、この戦術が白人票以外でも浸透力を持つ可能性を示唆しています。
第三は、強烈な反連邦主義であり、土着主義への回帰と言ってもいいかもしれません。共和党内における反連邦主義は、連邦政府のリベラルな価値観に帰着されることが多かったわけですが、ここでもトランプは捻りを加えています。トランプは、連邦政府や議会そのものに「無能」のレッテルを貼る形の反連邦主義を提示しています。連邦政府への懐疑は、民主党支持者の間でも広がっていますから、このような観点を強調することでこれまでの民主・共和の分断、リベラル・保守の分断を組み替えることができるかもしれない。
第四は、米国の現状に対する短期的な悲観主義と長期的な楽観主義を前提とした世界観です。経済分野でも、外交・安全保障分野でも、米国の威信が傷つけられているのは無能な指導者達の存在によってであると。しかし、(自分のような)有能者な指導者を戴けばその未来は明るいと。事実は逆であるにも関わらず、です。実際には米国経済は先進国の中でも断然に景気が良く、21世紀のリーディング産業における米国企業の競争力も圧倒的です。国際社会における米軍の存在感は圧倒的であるし、その優位に挑戦する勢力は、短期的には、存在しません。しかし、長期的にはそうではない。米国の優位が相対的に掘り崩されていくというのは間違いのない統計的な真実です。
そして、以上に挙げた4つの要素を統合するシンプルな方法が提示される。もちろん、自分(トランプ氏)に投票するということです。本人の直観で形成されたものなのか、優秀なブレーンによって設計されたものなのかはわかりませんが、実に良くできたストーリーです。何より、米国政治の閉塞感と米国民の深層心理を踏まえたものであり、これまでの米国政治の構造を組み替える可能性を秘めていることはわかると思います。
民の声と向き合う
来る決戦においてトランプが勝利したとしても、そこで共和党の候補者指名が決定ということではありません。ルビオ、クルーズによる2位・3位連合も噂されています。民主党の候補者指名に一番近い存在となっているヒラリーとの勝負も、これまでの常識からは判断が難しいところです。特に、トランプの存在によってカリフォルニアやニューヨークなどのリベラルな州における勝敗の行方がわからなくなるというのは、他の共和党候補では考えにくい展開です。
かつてのレーガン大統領は、役者出身であることを揶揄されて大統領となる資質を疑われる存在でしたが、今では共和党の一番の英雄です。そして、レーガンの国内政治上の大きな功績がレーガン・デモクラットと呼ばれる民主党支持層の支持を得たことでした。トランプにも、ひょっとすると類似の支持が集まるかもしれない。トランプ氏自身には行き当たりばったりのところがあり、その言説には人々の怒りや畏れに巣食っていることは事実です。しかし、トランプ現象を嘆くエリート達を前にその快進撃は続いているのです。デモクラシーの国における民の声はいつまでも無視できるものではないとすれば、我々にもトランプ現象と真剣に向き合う必要があるのではないでしょうか。
次回は、スーパー・チューズデーの結果を受け、トランプ現象の日本を含む国際社会への影響について考えたいと思います。(はてなブログ「山猫日記」初出)