連載・寄稿
2022.03.12 News 連載・寄稿
帝国の瓦解とウクライナ戦争
帝国による覇権の交代が起きるときには大戦争が誘発されやすいという仮説は、長期にわたって世の中に存在してきた。だが、歴史をひもといてみると、一般に考えられているのとは違って、新旧の帝国は必ずしも大戦争を経て覇権を交代したわけではない。
実際、帝国はその衰退期において、「手の広げすぎ」と「軍備の負担」によって弱体化する。つまり、覇権戦争における敗北というよりも、帝国が自滅するというのが、一般的な衰退のプロセスである。
衰退を招く原因は主に財政と経済だ。重い軍備負担や産業力の低下は、国家財政の破綻(はたん)を招き、軍事的プレゼンスの維持が出来なくなる。帝国がそうした現実に適時に賢く対応して撤退できればまだマシだが、それでも、「力の空白」が埋まるまで、戦争が誘発されやすい状況は続く。また、帝国の衰退自体は長い時間をかけて進むので、同時代的にはなかなか全体像が分からない。
ウクライナ侵攻を理解する三つの観点
さて、2月24日に始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻は、国際政治において三つの観点から理解することができる。
一つめは、帝国がその衰退局面において、手を広げすぎたことで八方ふさがりに陥り、勢力圏に対する「反乱鎮圧」のような軍事行動に出たという見方だ。
二つめは、国際秩序を否定する現状打破志向の「攻撃国家」による電撃戦という見方。
そして三つめは、独裁国家の強権的指導者の暴発による戦争という見方である。
いずれも排他的なものではなく、どの観点から同一の事象を見ているかという違いに過ぎない。しかし、どこに軸足を置いて見るかによって、その事象への対応には自ずと違いが出てくる。
打ち砕かれた平和な世紀への期待
一つめの観点は、多くの民族を統合し、地理的な境界線があいまいな「帝国」という特異な存在に着目する。帝国の境界線は様々な理由によって引くことができる。例えば、民族や宗教、「生存圏」、政治イデオロギーなどが挙げられよう。
第2次世界大戦の後、国家主権の平等と攻撃戦争の禁止が謳われ、多くの植民地が独立を果たしてからは、帝国的な戦争は少なくなった。もちろん、帝国的な軍事行動がなかったわけではない。ソ連のアフガニスタン戦争や、アメリカが行ってきた戦争には、帝国的な側面が明らかに存在している。
藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)は、現代のアメリカに「帝国」概念を持ち込むことでその拡張性を論じ、民主国家が国内の民主的正当性に基づき是認する戦争が起こることは現代でも防ぎがたいことを、同時に指摘した。とはいえ、それでもアメリカによる戦争が、「併合」に行き着くことはない。
これに対し、今回のロシアによるウクライナ侵攻は、まるで19世紀を髣髴(ほうふつ)とさせるような軍事行動であったため、国際社会に第1次世界大戦前夜の亡霊が戻ってきたかのような衝撃を広げた。戦乱の20世紀を克服し、21世紀がもう少し平和な世紀になるだろうという甘い期待は、容赦なく打ち砕かれた。
「手を広げすぎた」冷戦終結後のロシア
帝国の衰退期に着目してウクライナ侵攻を説明するならば、よく指摘される「NATO(北大西洋条約機構)の東方拡大」のみならず、ロシア自身の行動も見逃せない。
ロシアは冷戦終結後もしばしば軍事介入を続けているが、いずれにおいても帝国の維持ができたとはいいがたい。チェチェン紛争の再発を皮切りに、南オセチア紛争、クリミア併合、シリア介入などで、いずれも苦戦や泥沼の膠着化に陥っている。
帝国においては、そもそも国境線の概念自体が相対的なため、攻撃しないという選択肢が往々にしてとられない。ロシアが主張するように“兄弟国”であるならば、なぜウクライナ人を攻撃するのか。「ウクライナが離反したから」ということで説明がついてしまうのが、帝国のメンタリティである。
とはいえ、帝国側にすれば「追い込まれたから介入した」という理屈だろうが、介入される側にとって反抗は自由を守るための当然の闘いである。帝国が強ければ周辺地域は隷属するが、強くなければ周辺地域は反抗する。
それゆえ、弱体化する帝国には、戦争の重荷が多くのしかかる。帝国の「核」となる最小単位のステートの内側へと退却する論理が働かない限り、利益が情念や理念を上回らない限り、紛争は終わらない。
比較的平和裏に大英帝国を終わらせたイギリス
ただし、ロシア=ウクライナ戦争の泥沼化がロシアの国力を削ぐとしても、モスクワが危機に瀕するような戦争ではない点には注意が必要だ。ウクライナ戦争は帝国としてのロシアを弱体化させるだろうが、だからといって帝国が早期に滅ぶと考えるのは間違いである可能性が高い。
プーチンを非難しないロシア人芸術家を排除する動きなどは、ロシア人の帝国メンタリティを強めこそすれ、弱めるとは考えにくい。また、プーチンを若い世代が支持していないとは言っても、世代交代にはまだ数十年の時がかかる。ウクライナ戦争は長期化する可能性があり、仮に休戦に漕ぎつけても、同じような戦争がふたたび旧ソ連諸国で起きないという保証はない。
帝国の座を降りた直近の事例として挙げられるのはイギリスだ。ちなみにイギリスは、帝国からの撤退を平和裏に行うことができた幸運なケースである。大英帝国が軍事的に退いていった領域にアメリカが入り込み、引き続き経済権益を保持することができた。
大英帝国に引導が渡されたのは、第1次大戦と第2次大戦に際し、彼らが疲弊しきるまでアメリカが積極的に手助けをしようとしなかったからである。実際、大英帝国の衰退にはかなり長い時間がかかったし、その間には幾つもの戦争がついて回った。
帝国の衰退には時間がかかる
現在のロシアの状況を、帝国の衰退過程ととらえれば、現在言われているよりもずっと長い時間軸で見ていかなければならないだろう。その間に幾つもの戦争があるかもしれない。
目下のロシア=ウクライナ戦争においては、大国間には核抑止が存在し、集団的自衛権に基づくNATOの直接介入はできない。可能なのは、ウクライナに資金や武器を支援することを通じて早期の敗北を避け、ロシアを長期間そこに足止めさせ、ゲリラ戦も含めて彼らを疲弊させるという戦略だ。
その場合、ウクライナ人の犠牲は、シリアやチェチェンのように膨大になるであろう。ただし、そこまでの犠牲を払ったとしても、プーチンのような独裁者は堅牢に守られており、情報が遮断されて資源も豊富な帝国が、早期に内側から自壊するとはいえない。
こうした「帝国の自壊」を促すアプローチをとれば、世界のブロック経済化が必要となるばかりか、戦争も対立も相当に長引くと想定せざるを得ない。中国は対米戦略の観点から、ロシアを追い詰めないことに国益を見出しており、弱体化した帝国の延命を助けるだろう。その間、世界はひどい食糧難とエネルギー不足、それに端を発する内政の不安定化に苦しむだろう。
帝国に対するアプローチをとれば、自壊シナリオに安易に期待することなく、100年単位で物事を見ていくしかないのである。
「攻撃国家」と「独裁国家」
二つめの観点として挙げた、国際秩序を否定する現状打破志向の「攻撃国家」による電撃戦という見方は、「攻撃的戦争」(aggressive war;日本語訳では侵略と表現されがちだが、正式には攻撃的戦争と呼ぶべきだろう)としての性格に着眼点がある。
攻撃的戦争とは、国連の安保理決議に基づかない軍事行動のなかで、自衛戦争以外の軍事力行使、自衛目的であっても受けた攻撃に対して釣り合いの取れない報復を行うものを指す。
そのような戦争を行う国家を、国際政治学ではしばしば攻撃国家(aggressive state)と表現してきた。要するに、「現状維持志向」ではなく「現状打破志向」で、冒険主義的な軍事行動をとる国家のことである。
アメリカはかつて、ナチスドイツ、大日本帝国、ソ連、中国、イラク、イラン、北朝鮮を攻撃国家と見なしたことがある(ジョージ・ブッシュ大統領は「悪の枢軸演説」で、イラン、イラク、北朝鮮の名を挙げた)。このうち、武力で政権を転覆させられたのは、ナチスドイツと大日本帝国、そしてイラクである。
攻撃国家は、しばしば三つ目の観点として挙げた、「独裁国家」や「強権的指導者」と結び付けられる。強権的指導者が独裁支配を行う国や軍政が攻撃的戦争を引き起こす存在として語られてきた。
だが、専政だからといって攻撃国家になるとは限らない。むしろ、国内において民主的で正当な手続きによって行われる攻撃的戦争に支持が寄せられる現象があることを、私は自著の『シビリアンの戦争』(岩波書店)で指摘した。
そもそも、軍政が明確に主導して攻撃的戦争を始めた事例は、アルゼンチンのフォークランド戦争くらいしか見当たらない。また、先行研究では、専政と民主政のあいだで、戦争を始める傾向に有意な差は確認できないことも指摘されている。
予防戦争や軍事制裁を誘発する攻撃国家
とはいえ、この世に攻撃国家が存在することは事実であり、今回のロシアがそれにあたることは疑いようがない。
攻撃国家に対峙(たいじ)するのはきわめて困難である。帝国に対するより、ハードルが上がると言っていいかもしれない。攻撃国家は冒険主義を取り、融和や合理的な取引に応じない。そして、こうした攻撃国家の論理は、対峙する側にも予防戦争や軍事的制裁を誘発する。
プーチン暗殺を期待する声が、アメリカのリンゼー・グラムなど有力議員からも出ているように、攻撃国家に対しては、実力で体制を転覆するしかないという言説が惹起される傾向がある。イラク戦争がまさにそうであった。
ウクライナ侵攻においても、ロシアが攻撃国家であるという認識が明白になったからこそ、事前の予想を上回る大規模な経済制裁がとられたということは、特筆しておくべきであろう。ただし、ここで厄介なのは、ロシアが核保有大国であるという点である。
アメリカが、かつてのナチスドイツや大日本帝国の時のように、全面戦争を通じて体制転換することは不可能だ。しかも、攻撃国家をいったん征伐しても、攻撃性が再び現れないとも限らない。
「経済的な封じ込め」はいつまで続くか
第1次世界大戦では、ドイツに厳しい賠償を課したことが、ナチスドイツの台頭を将来した。その教訓に学べば、西側とすれば、ロシア国内での政府批判の高まりに期待するしかない。しかし、攻撃国家と共存することは、世論には受け入れがたく、さらに厳しい制裁や排除を訴える声が広がりやすい。
すでにロシア楽曲の演奏禁止やスポーツ界からの締め出し、ロシア人指揮者の辞任をはじめ、世界中でロシア排除が始まっている。ドイツは、ロシアからのエネルギー輸入をすぐに止めることは不可能だが、いずれエネルギーにおけるロシア依存戦略を転換するとしている。
問題は、排除を訴えるそうした声がどれだけの間、続くかだ。ある時点でソ連を共存不可能な攻撃国家だと認定しながら、武力による政府転覆が難しいと分かると、「封じ込め」へと移行したように、現在、ロシアに課している「経済的な封じ込め」もいずれ緩む可能性がある。
アメリカはこれまで、相手を攻撃国家と認定したのち、現状維持傾向の国へと見方を修正することを繰り返してきた。ソ連と中国が典型例である。それが主に「倒したいのに倒せなかった場合」であることは、言うまでもない。
現状打破志向の国として見なされながら、政権を転覆されていない国に、北朝鮮とイランがある。とはいえ、ロシアがイランのように「経済的に封じ込め可能な敵」として認識され続けるのか、再び「取引可能な存在」として見なされるのかは分からない。
プーチンの予想を超えた経済的な国力の損失
欧州やアメリカにとって、「ロシア恐怖症」は「中国恐怖症」よりもなじみが深く根が深い。この戦争が長引けば長引くほど、ロシアとの経済的・文化的なディカップリング(分離)は固定化するだろう。その際、ロシアへのダメージを大きくするのは、金融システムに自律性がなかったということである。
ロシアは2014年以降、外貨準備における米ドルの保有を減らし、金の保有を増やしてきたが、SWIFT(国際銀行間通信協会)からの排除に加え、中央銀行との取引停止、海外資産差し押さえによって、“虎の子”の外貨準備を使えない状況に陥っている。
もちろん、ロシアには中国に依存するという手段があるし、暗号通貨の価格が跳ね上がっていることが示しているように代替手段も存在する。多くの取引は地下にもぐるだろう。
しかし、経済的な国力の喪失は、おそらくプーチンの予想を超えている。プーチンはウクライナへの大規模侵攻計画を国内でも厳重に秘匿していたため、的確なアドバイスを受けていたとは考えられず、また短期間の電撃戦を志向していたために、この点を見誤っていた可能性がある。
攻撃国家との共存をいつ受け入れるか
言ってみれば、独裁者が支配する攻撃国家との対峙は、短期から中期にかけての「チキンレース」に他ならない。
とすれば、今回の戦争がどこまで広がるのかが、次の焦点となろう。果たしてロシアの攻撃は、バルト三国や東欧まで広がるのか。現時点で私は、そのような拡大の見方をとらないが、ウクライナ侵攻に関してこれほど大規模な侵攻となることを予測できなかった以上、安易な予想は避けたいと思う。
いずれにせよ、問題は、攻撃国家だとしても、核戦争のリスクがあって政権の転覆が不可能な場合、否が応でも共存せざるを得ないという現実を、西側がいつ受け入れるかであろう。事態がエスカレートすれば、互いに核兵器を使用し、攻撃するという選択肢も、僅(わず)かながらあるのかもしれない。
ロシアへの経済制裁で中国が学んだこと
忘れてはならないのは、世界には今、ロシアだけでなく中国という存在が、さらに巨大な大国として控えていることだ。両者の間にくさびを打ち込むことはおそらく不可能だが、西側諸国が努力すべきことは、少しでも中国に「国際秩序重視」の姿勢を取らせることではないか。中国は現状の国際秩序の受益者であり、その逆ではないのだから。
今回のロシアによるウクライナ侵攻を、中国の台湾問題と比較することが少なくないが、それほどシンプルな問題ではない。中国にとって台湾問題はあくまでも「内政問題」であり、「一つの中国原則」がゆるがせにされる方がよほど脅威である。
攻撃国家となりうる中国にとって今回、ロシアに対して加えられた一連の制裁は、最良の「ケーススタディ」となった公算が大きい。とりわけ中国は、金融システムの自律性がカギであることを学んだに違いない。
かつて台湾海峡危機が中国を海軍力の増強に駆り立てたように、これからの10年で、中国は金融システムの自律性を確保するためにあらゆる努力を払うだろう。これまでも相応に重視されていた「人民元の国際化」が、国家目標の最重要課題として浮上し、「一帯一路構想」などの実体経済と合わせて推進されるはずだ。
各国の利害が衝突する別の“戦場”が
エネルギー問題についても触れておきたい。ロシア産のガスへの依存を短期的に減らすことは、想定を超えて困難であることが、早晩明らかとなるであろう。欧州のようにパイプラインを軸としてインフラが出来上がっている場合、産地変更が比較的容易なLNGベースへの転換は容易でない。
インフラへの投資は、20〜30年単位で行われる。民間プレイヤーがそれだけの巨大な投資を決断できるだろうか。くわえて、ロシアは、ガスのみならず、石油や石炭などの化石燃料でも主要な輸出国だ。
今後、エネルギーをめぐる駆け引きは、熾烈(しれつ)を極めるに違いない。すでにそれは始まっている。石油価格の上昇を受け、OPEC(石油輸出国機構)のアラブ首長国連邦(UAE)が増産支持を表明しているが、各国がどのような立場を示すかは不透明だ。
中国はもちろん、インド、東南アジア、アフリカ、南米の各国は、国連でロシアを非難こそすれ、制裁には積極的ではない。要は、国際機関で語られている表向きの議論とは別に、各国の利害が衝突する別の“戦場”が存在しているのである。
19・20世紀が舞い戻ったロシア=ウクライナ戦争
ロシア=ウクライナ戦争は21世紀の今、19世紀や20世紀が舞い戻ってきた状況として理解されている。たしかに、メディアやネットを通じて流れ込んでくる情報は恐ろしいものだ。
大都市が包囲され、砲撃によって歴史ある建物が破壊され、民間人が死んでいく。ウクライナに潜入したロシアのエージェントによりゼレンスキー大統領の暗殺計画が企てられ、数度にわたって失敗する一方、ロシア側のスパイだとされた高官が裁判所前で公開処刑される。
水と電気が断たれた数十万人の街に、全面降伏が突き付けられる。現在のところ、民間人の死者数はシリアほどにエスカレートしていないが、プーチンがマクロン大統領に告げた通り、「最悪の事態はこれからやってくる」かもしれない。
大戦争の時代から「コップの中」の紛争の時代へ
20世紀前半は大戦争の時代だった。戦時徴兵を通じて総力戦が展開され、無差別空爆が行われ、殲滅(せんめつ)戦が戦われた。広島と長崎には原爆が投下され、南京では民間人が虐殺され、ドレスデンは廃墟となり、ドイツ国内にとどまらない広範な地域でユダヤ人が計画的に大量虐殺された。
日本人は当時、人種差別の対象となったが、白人同士、あるいはキリスト教徒同士のあいだで手加減が行われたとも言い難い。こうした悲惨な世界大戦の原因は、恐怖と不信、そして国際法や国際機関の機能不全にあった。
その反省の上に立ち、連合国側は国際連合憲章の制定を通じて、国家間戦争という歴史の悪魔の抹消はできないまでも、「コップの中」に封じ込めようとした。コップとは「地域」を意味する。いま進行しているロシア=ウクライナ戦争の場合、コップの外枠は、今のところウクライナ、ロシア、ベラルーシだ。
こうした「コップの中」にとどめる仕組みを実態面で支えたのが、その後成立した相互核抑止だった。安保理常任理事国が地域紛争を始めた場合には、国連軍も安保理決議に則った多国籍軍も組織できない。だからこそ、20世紀後半は、紛争をいかに地域的な文脈に封じ込めるかに、最大の神経を使ったのである。
冷戦後期には、「戦争が比較的抑えられ、コップの中に留められている」ことを指して、パックス・アメリカーナの時代に突入したという認識が広まる。アメリカがたまたま植民地帝国の座を放棄しており、戦後に植民地に舞い戻ってきた欧州列強の植民地戦争を終わらせることに心を砕いたことも、歴史上の幸運であった(ベトナム戦争を除けば)。
21世紀の歴史は私たちにかかっている
しかし、こうした状況は冷戦終結後の1990年代から変化しはじめる。
われわれは20世紀を克服したのだ、冷戦に勝利したのだ、歴史は終わった、といった言説がもてはやされ、西側は帝国が瓦解していくプロセスの危険性に十分に目を向けなかった。長きにわたって雌伏していた中国の台頭が意味するところも見誤った。くわえて2001年以来、20年に及ぶ対テロ戦争で、パックス・アメリカーナをもたらしたアメリカが国力を費消した。
明らかに「歴史は終わっていない」なか、21世紀の歴史はどこに向かうのか。それが、血なまぐさい世紀になるのか、そうはならないのか。現代に生きる私たちはある程度関与することができるはずだし、そのための知恵をめぐらさなければならないのである。
(初出「論座」、2022年3月12日脱稿)