連載・寄稿
2018.08.12 News 連載・寄稿
新しい平和のために
戦後秩序の自発的終焉
2018年夏、戦後秩序が終わろうとしています。70年余りのあいだ続いた世界史の一ページが閉じられようとしているのです。2,3年前は、多くの人はこのような転機を迎えることになるとは予測していませんでした。2010年代の主流の議論は、米中衝突は起きるのかという問題意識だったからです。
しかし、いまの西側諸国でおきている変化は、米中の対立によるものではありません。アメリカが覇権国の座から勝手に下りて、同盟国との関係性を悪化させ、自国内政治のパフォーマンスに終始する。そして、欧州で起きていることも、EUの価値規範に反するような旧東側諸国の退歩であり、西側諸国の変質という内政変動です。
つまり、内政主導で戦後秩序が終焉しようとしているのであり、それは外敵によってもたらされたものでもなければ、中国主導の新秩序が勃興したから崩れていったものでもない、というのが本質なのです。平和を求める人々にとって、その意味するところは、戦後秩序を前提とした平和のためのメカニズムが機能しなくなってきているという一点につきます。
戦後秩序とは、アメリカが西側先進諸国の復興を支え、安全保障とシーレーン防衛を提供し、国際協力のための制度化を進め、西側の平和を実現したことでした。冷戦が終結するとNATOは東方に拡大し、西側は旧東側諸国の経済圏を組み込んで秩序が拡大します。アメリカ単極とも言われた世界は、イラク戦争で疲弊するまで続きます。けれども、資本主義陣営の勝利をさらに拡大して、世界に民主主義を進めるというネオコンの試みは失敗し、いまや誰もそのような青写真を共有していません。
トランプ政権は、そうした一連の経緯を通じて戦後秩序の核をなすアメリカの意思が揺らいだことの象徴です。トランプ政権になってもアメリカは自由貿易を推進していますし、世界中に軍事拠点を有していることは間違いありません。では、何が大きな変化だったのか。それは、アメリカが軍事介入する意思がもはや見えないこと、そして西側先進諸国をもはや優遇しないことにあります。戦争をしてくれないアメリカ、西側を優遇してくれないアメリカという変化が新しいのです。
北朝鮮問題はその象徴
北朝鮮核問題の推移によって、アメリカの変化はいまや明らかになりました。先制攻撃と宥和のあいだを揺れ動いたトランプ政権は、先制攻撃をして「筋を通す」ことのコストが受け入れられないほど高いことを認めました。そのとき、アメリカは歴史に残る宥和に舵を切ったのです。その背景理由のひとつには、国内世論のほとんどが北朝鮮の金正恩委員長との首脳会談を支持したことがあります。そして、もうひとつの理由はおそらく、朝鮮半島に歴史的な休戦と平和条約をもたらすことでアメリカの肩の荷を下ろすことができると認識したからです。
言い換えれば、北朝鮮に対して、冷戦初期にソ連に行ったような苛烈な「封じ込め」を行いつづけるだけの体力と意思が、もはやアメリカにはなかったということなのです。いかに軍や外交官が合理的だと思う政策を訴えても、最後は国内政治で決定されるのが民主国家というものです。アメリカの政界を見渡しても、世論を見ても、そのような政策を支え続けるだけの興味関心、強い恐怖心は北朝鮮に関して見当たりません。そうしたなか、トランプ大統領が下した決断は既定路線として継承されていくでしょう。
今後、伝えられるように北朝鮮が核弾頭の数を削減したとしても、戦略的な意味合いはたいして変化しません。もちろん、核弾頭の数は少ないに越したことはありませんから歓迎すべき変化ですが、北朝鮮がなかなか動かないのは彼らがアメリカの譲歩を引き出そうとしているから。核弾頭を削減することの対価として、アメリカは朝鮮半島での軍事的影響力を失うことになるでしょう。以上のようなことが起きたとしても、私たちは核保有国となった北朝鮮と向き合わなければいけないという戦略的な意味合いは変わりません。
敗戦国ドイツと日本が最大の影響を蒙る
では、戦後秩序の終焉によって既存の平和のためのメカニズムが壊れたとき、最も影響を受けるのは誰か。それは第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本です。
ドイツや日本で戦後養われてきた平和のための諸原則は、大きく二つの目的に分類されます。ひとつは、日独が再び攻撃国とならないようにする目的。もうひとつは、日独の安全を保障して繁栄を支えるという目的です。相対的に多くの人口と経済力をもつ二カ国が、アメリカの提供する同盟と経済圏の秩序に組み込まれることで、平和が実現できたのです。フランスはドイツを受容し、ソ連がドイツに侵攻した際にはNATOの集団的自衛権が発動することになっていた。日本は軍隊を持たずに経済的な発展が保証されました。
戦後の日独は、アメリカ市場への優先的なアクセスを西側先進国として許され、軽武装を実現しながら、独自の平和主義を発展させてきました。戦後日本の平和を形作ってきた具体的な政策はすべて、戦後秩序を前提としたものです。非核三原則、アメリカの核の傘、防衛費のGDP比1%枠、静的な基盤的防衛力の考え方。それらはすべて、アメリカ主導の戦後秩序の中で初めて意味を持つものだったのです。
いままさに旧秩序が壊れようとするときに、旧秩序にしがみつく努力しかしないのであれば、平和な未来は約束されません。大切なのは、戦後秩序が提供した平和なのであって、個別の政策はその手段でしかなかったのですから。政策の前提に当たる土台がひっくり返されたとき、砂上の楼閣を守る努力にはほとんど何の意味もありません。
アメリカの外交エリートに本音を聞けば、日本は何とか自力で頑張ってくれという少々疲弊した答えしか返ってきません。トランプが体現する現在のアメリカにおいて同盟を重んじる風潮はありません。いまはホワイトハウスとの交渉がものを言い、アメリカの帝国官僚の影響力が減退していく時代に入っています。だからこそ、安倍=トランプという首脳同士の関係性が構築できるのですが、それは既存秩序の安泰をまるで意味しません。
米国中間選挙で米民主党に希望を託すのも誤りです。いまの民主党は分裂して断片化し、繰り広げられている論争は主に国内の文化的闘争です。そして、この前の大統領選でサンダース候補を推した若者たちも孤立主義的気分を共有しています。そのような状況において、外交エリートの望む旧秩序を前提とする政策が推し進められる国内的気運はゼロであると言わざるを得ません。
ロシアにエネルギーを頼りつつ、実質的に使える軍事力を持たないドイツ。彼らには、それでもEUという砦をつくったことで、そこに成立した生存圏を守り続けるという選択肢があるのでしょう。先進国でもっとも防衛費を節約し、アメリカ一国に依存している日本の立ち位置はもっと厳しいものです。東アジアは、アメリカが各国と個別に同盟関係を結んだことで「分割統治」されてきました。その中で、主に経済面で進められた地域的な協力の枠組みにおいても、いまや中国の影響力が高まろうとしているのです。
現在の日本の繁栄は、欧米とアジアの双方との関係を構築できていることの上に成立しています。日本は、欧米とアジアとの間で選択を迫られるような事態を何としても避ける必要のある存在です。日本こそが、旧秩序の恩恵をもっとも受ける立場にあり、逆に言えば、もっとも危機感を持たなければいけない立ち位置にいるわけです。
日本が進むべき道は、アメリカからのある程度の自立、東アジアでの多国間での安全保障協力体制の構築、そして、開放的な経済体制を支えるグローバリゼーションの擁護です。今後必要になってくる変化は、戦後秩序を前提とした漸進的なものではありません。例えば、トランプ政権がNATOに求めているGDP2%水準の防衛力とは、日本に換算すると10兆円規模ということです。戦後の軽武装の枠内で発想し、小手先で予算を組み替えていても、このレベルの変化には対応できないでしょう。
次の時代の秩序が形成されるまでの混乱期が、どれほど長く続くかは明らかではありません。ただ、旧戦後秩序という平和のための土台が壊れてしまったいま、かつて成立していた秩序への郷愁を軸とした平和論にしがみつくだけでは片手落ちであることは明らかです。
戦後の日本の夏は、過去を振り返ることが一定の慣習になっています。戦後73年目の今、求められているのは過去を振り返ることではないのだと思います。
(初出「論座」、2018年8月12日脱稿)