連載・寄稿

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2019.10.22 News 連載・寄稿

関電問題

関西電力と福井県高浜町をめぐるスキャンダルは、共同通信による第一報以来様々な事実が報じられています。関電が森山氏の在任中に35億円も高浜町に寄付していたというニュースも、なぜ助役である森山氏がそこまでの権限を有するに至ったのかということを考えるうえで興味深いものです。交付金とはまた異なる寄付という形での権力者の威信を高めるためのお金の流れ、私的な体裁でのお金の流れ、工事業者から払われる典型的なキックバック。三者の共依存とも言うべき構造の中で、使われたのはほぼ独占状態にある関電に消費者が払った電力料金です。さらには、国民全体が負担する税金が様々な形で原発関連のコストとして使われています。

原発事故で信頼を失墜させた東京電力ではなく、関西電力の不祥事が明るみに出たことで、今回の事件はエネルギー政策から日本のエリートへの不信感に至るまで長々と尾を引くように思います。なぜならば、福島での事故以来報じられてきた原発ムラ、原発マネーという利益構造をこれほど分かりやすく象徴するニュースはないから。そして、物事は原発にとどまらず、日本政治の地方の現場におけるボス政治そのものを象徴しているものだからです。「悪代官に小判を差し出す商人」という時代劇のワンシーンを想起させるような、あまりに陳腐で時代錯誤な不祥事。それは、日本の地方利権の差配の実情を示すものであり、グローバルと繋がっていないローカルな経済において隠然と存在しつづける、ボスたちによるボスたちのための政治です。本稿では、このような利権差配の実情に加えて、そこから脱却するための方策を考えたいと思います。

不祥事はなぜ明るみに出たか

関西電力の幹部は、高浜原発の立地自治体の高浜町の森山元助役から大枚の金額を受領していました。これらは預かり金として社内で処理され、個人が管理していたとされます。絶大な権力を振るってきた森山氏の死去をもってはじめて様々なことを明るみに出せるようになったというのが、関電の社内調査の文書における説明のトーンですが、金銭の授受が外部に発覚したそもそものきっかけは森山氏の死去ではなく、昨年の金沢国税局の税務調査でした。税務調査に関わっているのは、金沢国税局と、関電の本社があり、幹部の居住地でもあろう大阪国税局。税務調査が始まってから、関電の経営幹部ら6人のうち4人、および森山氏も、修正申告を行っています。修正申告を行ったということは、「預り金」であるという説明ではそもそも苦しかったことを意味します。それでも、修正申告をすれば、この件はニュースにはならない見込みだったということでしょう。

第一報を報じた共同通信に情報提供を行った者がどの組織に所属する人であるのかは分かりませんが、金沢国税局、大阪国税局、関電、森山氏サイド、そして森山氏と親しく原発関連工事を受注していた吉田開発における複数の人間が金銭授受に関する事情を把握していたことは確かですから、順当に考えればそのうちのどこかから情報がリークされたとみるのが普通でしょう。それは正義感による告発かもしれないし、ライバルを蹴落とすための告発かもしれない。いずれにせよ、本件が週刊誌ではなく、通信社の第一報から広がり、あまねく報道されていったことは、昨今の週刊誌発のスキャンダルが発覚したあとに、役職を辞任したり政治資金収支報告書を修正したりして、あるいは釈明以外何もないままに有耶無耶なまま終わる流れから言うと、良い変化であったように思います。関電の役員らは当初辞任しない意向を示しており、早々に幕引きを図るつもりだったようですが、それでは収まらないと見るや一転して辞任の意向を固め、現在は、第三者委員会による調査が行われています。

しかし、予断を許さないのは、ひとつには、関電の第三者委員会がそもそも関電のみを対象とした責任追及に職責が限られており、目的は関電のコンプライアンスの観点に絞られていることです。コンプライアンスとは、企業などが法令を遵守し、社内ルールを忠実に守り、企業倫理や社会的規範を重視すること。今回第三者委員会ができたのは、コンプライアンスを本来実施すべき経営陣自身が不祥事を引き起こしているために、経営陣を飛び越えた判断が必要となったからです。大企業から中小企業に至るまでコンプライアンスは重要ではありますが、とりわけ公益性の高い大企業、上場企業に厳しく求められます。関電の場合は公益性の高い電力を扱う、事実上の地域独占企業であるために、猶更です。しかし、第三者委員会はあくまでも企業に法的社会的責任を果たさせ、再生に向けた方策を提示することに重点があるのであり、ある意味「関電の再生のため」に厳しいジャッジを行う存在なのです。

このような一企業の社会的責任を本件は大きく踏み越えています。取引先から金銭を授受したかどうかだけでなく、原発建設・維持管理そのものにおける恒常的な不正が自治体や地方経済において創り出され、国政レベルの政治家や官僚によってそれが黙認されていたのではないかという問題が含まれているからです。そのような問題は、第三者委員会の則を超えており、判断ができないだろうと思われます。

原発に限らない大規模開発のくびき

もうひとつ、本件の第三者委員会設置をきっかけに問題が根源的に改善すると思われない理由は、こうした問題は実は原発に限らず、土地が絡む大規模開発に伴う風土病のようなものであることが挙げられます。現に、関西電力は接続を希望する太陽光事業の案件に関する工事概算額などの情報を、助役経由で吉田開発に流していたと報道されています。工事の一部はくだんの吉田開発が受注しており、送配電部門の関電社員が商品券などを授受していた件との関りが気になる所です。

日本だけ、というわけでもありませんが、日本はとりわけ土地が希少資源ということもあり、土地や法規制が絡む開発では、取引に様々なステークホルダーが関わってきます。地域住民、地権者、隣接区域の農業や漁業従事者、規制当事者である官庁や自治体、その職員、地元の工事業者、地域社会の顔役、あるいはその土地によっては暴力団のような反社会的勢力が幅を利かしているところもあります。住民に説明会をするにあたっても、すべてがいわゆる市民というわけでもなく、その他のステークホルダーがうごめく場合もありうるということです。その土地で暮らす住民や農業者などは、安全性の懸念や景観、経済的な見返りといったさまざまな目的をもって参加するわけですが、外部の勢力の場合、その目的は、ほぼすべて影響力の維持と利益をあげることにあります。

開発の投資元は、自らのコンプライアンス上、直接に地元の業者とやり取りをすることは避ける傾向にあります。すると、ステークホルダーをめぐって両者、あるいは開発の特別目的会社を取り持とうとするアクターが暗躍し始めます。そのような存在が森山元助役を支えていた可能性もあるし、あるいは表面上は助役にすぎなかった森山氏自身がそのような存在であったのかもしれません。森山氏は自らを、町を富ませるファシリテーターであると自認していた可能性はあります。現に、関電からの多額の寄付が町に落ちています。しかし、外形的に見れば自らのお友達企業に利益が還元され、個人の誕生日パーティーに重要人物が詰めかけ、また関係者が日参するという、ボスによる「利益誘導政治」以外の何物にも見えない。

ここで念のため、ネットに出回っている言論で、関電が森山元助役からの贈り物を断り切れなかったのは、「同和問題」が関わっているのだから、それを報道しないのはマスメディアの真実隠蔽であり関電にアンフェアであるという主張について、検証しておきましょう。多くのそうした主張では、共産党の機関紙「赤旗」の古い記事を引き合いに出して、メディアはその関係性を取り上げるべきだとします。ただし、森山氏が権力を振るっていたということ全般に関してストーリーに加えるだけならばともかく、「関電問題」について、ことさら部落解放同盟の文脈を特別視するのは間違っています。

地方の開発の実情を知る者からすれば、この程度の恫喝、発注にかかわるえこひいきや金銭の授受が存在することは、特別でも何でもないからです。多くの人が 「部落解放同盟」という存在を神秘化して、これが物事の本質であるかの如くツイートしようとするのは、そもそも地方の現場を知らないからです。ことさらに同和問題を言い立てることで、むしろ本件を特別視しすぎる懸念すら存在します。問題は「普遍的なボス政治」の方であって、「偏在的な同和問題」ではないのです。

規制産業ならではの弱さ

ではなぜ、関電はここまで典型的な不祥事に陥ったのか。問題は事実上の独占企業、規制産業ならではの関電のコンプライアンスの弱さの方です。関電という「エスタブリッシュメント企業」の幹部が自ら直接的な利権に絡めとられてしまっていたというのは呆れるほかありません。規制産業であれば公益性があり、より直接的に政府の統制を受けてしっかりとしているのではないかと思われる向きもあるかもしれませんが、電力業界のような場合の規制産業は、規制を通じて自由な経済活動が制限され、逆に様々なステークホルダーを生んでしまう構造を内包しています。

なぜ、断れなかったのか、ではなく、むしろそれが当たり前になってしまっていた関電の体質そのものが、示唆的なのです。ビジネスにおける贈答品の社会的常識の範囲内はやはり、(黄金小判入りではない)お菓子、ネクタイ程度まででしょう。外形的に、利益相反を疑われないようにするためです。昨今では、ネクタイ一本でも受領しないという社内ルールを定めているグローバル企業もあります。

規制産業の腐敗を読み解くうえで重要な観点は、こうした厳しい社内ルールは経済合理性に合うということです。電力料金という消費者から得た売り上げを、どのように活用するか。経済合理性から言えば、フェアな取引が最適です。有力者と繋がることによって受注を有利にできる地域の開発業者がいれば、競争が減り、その開発業者の生産性も落ちるに決まっています。また、そのやりとりのなかで多額の金が幹部や助役に落ちることは、投資効率がいいとはとても言えません。松井大阪市長に限らず、関電株主からすれば当然株主代表訴訟を起こしたいところでしょう。

数百万、一千万、一億などのお金が大した規模ではないかのように飛び交う。、日本の地方が発展しづらく、ビジネスの現場の生産性が低いのは、ボス政治の存在ゆえに投資効率が悪く、あまりに前時代的だからです。日本の地方の発展を阻んでいるのは、まさにこのような慣習なのです。そして、一般の人びとはこのようなニュースを見てさらにエスタブリッシュメントに対する信を失います。不祥事は、政治不信、大企業不信、マスメディア不信となって、内政の不安定さにかえってくるのです。

権力分散型の産業構造をつくる

原発の場合、これらのボス政治が生む問題に加えて、安心・安全をめぐる問題が生じます。スリーマイルの事故以来、米国では長らく原発を作ることはできませんでした。東芝のウエスティンハウス買収にあたっても、原発建設の安全対策コストが想定外に膨らんで破綻に繋がりました。一人の技術者が一生をかけても、開発から建設・完成にはたどり着かないということです。事故を経験する前の、国家主導型の未来を懸けたプロジェクトだったからこそ、日本では多数の原発がつくられたわけで、大型の原発は、もはや新設することは難しいでしょう。温暖化効果ガスの排出こそ少ないものの、兆円単位で積みあがっていく安全対策コストを勘案した際には、おそらく原発は既に安い電源ではないのではないでしょうか。そして、関電問題はさらに人々の原発に対する不信感を高めてしまったと言えます。

選挙民に背を向けられる大型原発の建設も難しく、地方のボス政治も一朝一夕には駆逐できない。ではどうすればよいのでしょうか。私は、カギは権力分散型の産業構造を作ることであると思っています。分権化・分散化がキーワードです。大規模開発が難しく、規制産業が縦割り行政による種々の規制やステークホルダーからの干渉で大変厳しい状況に置かれているなか、物事を中長期的に良くしていこうと思うのならば、まずは利権が絡みにくい、小規模な再生可能エネルギー生産の拠点をたくさん作ることです。そして、それぞれが別々に機能して電力を無駄にするのではなく、それらをつなぐスマートグリッドに大規模に投資を行って、個々の生産者・消費者が最適につながるようにすることです。

地球温暖化問題は、世界各地で気象条件の変化をもたらしています。海洋の温度上昇によって今回の台風19号や千葉を襲った台風15号のように、災害はより大型化し、被害は甚大なものとなっています。したがって、単に温室効果ガスを減らすというだけでなく、災害に対して強靭な分散型の電源を持っておくことは必須です。太陽光発電などをはじめとする再生可能エネルギーは、本来的に分散型の技術です。原発とは異なり、大型化・集中化する結果としてのコストが生じない。実際、再エネの世界では、ほかのエネルギー分野に見られるような寡占化が起きていません。関電などの電力会社は、そうしたスマートグリッドでつながった多数の小型の発電所のかたまりをまとめて、発電資産として保有すればよいのです。あるいは、電力会社だけが集中して持たなくとも、日本の民間資産の優良な投資先として、債権化、トークン化してもよい。

最終的には消費者の私たち、国民それぞれが利用料金という形にせよ、株にせよ、税金にせよ、電力という資産にお金を払っているのです。それらを立て直すことは日本の未来を作るうえで欠かせない道程なのだと思います。

(初出「論座」、2019年10月22日脱稿)