連載・寄稿
2021.11.07 News 連載・寄稿
2021年衆院選総括
あからさまな審判が出た選挙だった。与党にではなく、野党連合をくんだ立憲民主党に、である。そもそも今回の選挙はこの4年間、ひいては9年近くに及ぶ自公連立政権への審判、新首相である岸田文雄氏への期待、そして野党に対する審判という三つの要素が入り組んだ総合的な判断となるものだった。
岸田政権から逃げたのは改革票である。それは日本維新の会を利した。逆に、戻ってきた票があるとすれば安倍政権に対して疑念を持つスキャンダルを厭う層の一部であろうか。そして、与党と野党を引き比べた時、圧倒的にマイナスの評価を受けたのは立憲民主だったのである。
選挙から一週間、野党連合支持者の様々な総括を見て感じたことがある。これまで分かっていてもよかったはずのことが分かっていなかったということだ。いったい何がまずかったのだろうか。そう思う野党支持者は多いだろう。たしかに野党連合の統一候補が票を積み上げた効果が出た選挙区もある。しかし、比例票は明らかに逃げた。4年前に希望の党に投じられた票の大部分が維新に行ったことは明白だ。さらには、事前に接戦で与党が追う立場にあると報じられた選挙区でいくつも予測が覆されたのには、何らかの説明が必要だろう。
情勢調査の誤りはエコーチェンバーによるもの
すでに分かっているヒューマンエラーの要因は、選挙の情勢予測に関して各メディアが長年の勘や様々な要素を踏まえて数字を補正したそのプロセスに間違いが潜んでいたということである。これは多くのメディア関係者が認めるところだ。出口調査も含め、膨大なお金が注ぎ込まれている情勢調査だが、近年では経費節減の意味も込めて各社が共同で調査を委託し、同じデータを受け取っているところが少なくない。しかし予測の結果は違うのだから、これは各社の受け止めや見方が違ったということにすぎない。
朝日新聞は、その点、選挙前に誰しもを驚かせるような与党大勝の予測を出した。インターネット調査を駆使しつつ電話調査と併用して補正を行ったとのことだが、それが今回当たったということから、二つの推論が導き出せるのではないか。
ひとつは、ネット調査の信頼性が高まってきたということ。わたしもこれまでネット調査を行う機会が多かったが、ネット調査は政党支持率を見ても電話調査より比較的安定した数字が出る傾向にある。その時々の雰囲気に流されやすい電話応答に比べると、落ち着いた答えが出るのだろう。また、若年~中年層にアクセスしやすいという特徴も挙げられる。原因を断定することはできないにせよ、ネット調査には、集中し落ち着いた状態で本音の選択ができる環境があるのではないかと思う。回答する際のユーザーインターフェースは齟齬が少なく直観的であるし、仮に自動音声相手であるとしても相手が介在することで秘密を開示していると感じる電話応答に比べて、答えやすいのではないか。そう感じることは少なくない。
もうひとつは、今回の選挙の雰囲気が非常に落ち着いたものであったということである。岸田政権はまだ実績を積んでいないということもあり、その時々の空気で短期的に政権与党の評判が上げ下げされる風潮は見られず、コロナ禍もいったん落ち着いたことから直近のニュースに左右される部分も少なかった。結果、与党に逆風は吹かなかった。そうすると、民意の安定した部分がすんなりと結果に反映されるのではないか。
だとすれば、SNSで様々なハッシュタグが飛び交い、新聞各紙が与党に厳しい予測を出し、野党が優勢であるかに見えたあの空気は単なるエコーチェンバーであったことになる。立憲民主党が受け止めなければいけないまずはじめの教訓は、この結論である。すでに毎日ハッシュタグデモを行って、野党連合健在の雰囲気を盛り上げていこうとする支持者がSNS上では目立っているが、これはますます支持を遠ざける結果になるのではないか、ということである。
判官びいきの賞味期限
2017年にできたばかりの立憲民主党には、判官びいきも含めて支持が寄せられた。4年前の投開票日のテレビ朝日選挙特番で立憲民主党の枝野代表に、「敗北をどう総括しますか?」と迫ったところ、一瞬あっけにとられた空気が帰ってきたのを記憶している。たしかに、その時のわたしの質問の投げかけは正確ではなくて、本来なら「リベラルの敗北」というべきだった。
希望の党が瞬間的に巻き起こした旋風と、民主党の流れをくむ民進党の瓦解、そして希望の党に対する支持が失速した後の「判官びいき」票がかろうじて立憲民主党に集まった背景には、最大野党の影響力の失墜があった。それでも、与党の大勝は旧民主党勢力の票が割れた結果にすぎない、というのが大方のリベラルな人々の見解だった。それは、野党が組めば巻き返せるはずだ、という意見につながっていく。その意見は部分的には正しいが、大きな陥穽がある。
今回の選挙結果を見るに、一対一の対決構図は作れても、野党連合及び立憲民主党がそこまで評価されなかったことは明らかだ。つまり、分裂すればたしかに支持は分散するが、それをまとめ上げれば純粋な足し算が成り立つかと言えばそうではない、ということだ。いまの野党支持は、2009年に民主党に票を投じた人々の支持が分散しているのではない。すでに、そのうちのかなりの有権者が旧民主党系勢力から新たな改革勢力へと離れて久しい。そして、上述したように、希望の党の得票の大部分は維新へ、残りは国民民主へ行き、新生立憲民主党は旧国民民主党から議員を吸収したにもかかわらず、比例票をほとんど増やせなかった。
むしろ、2017年の立憲民主党に寄せられた期待値が2021年には減退したということは、日本人による判官びいきの賞味期限が切れたことを意味している。批判票の受け皿ではありつつも、その受け皿にすら十分な票が落ちてこないというのがいまの状態だ。
単純な足し算が成り立たないことについては、自民党の総裁選を思い出してほしい。小石河連合と呼ばれ、ともに大衆的人気がある小泉、石破、河野三氏が寄り集まっても党員票で圧倒できなかった。なぜだろうか。それは大将として立った河野太郎候補が、善戦しつつも最終的に十分な「いましかない」という説得力を持たせられなかったからだ。自民党支持者は改革を否定したのではない。河野氏に党を率いる十分な力がまだ感じられなかったから、今回は岸田氏という判断を下したのに過ぎない。
そして、今回。衆院選で、有権者は「今回は自公政権でよい」という判断を下した。しかし、その過程で不人気な候補を選挙区で落とすことを忘れなかった。不人気と言っても理由は様々だが、特にスキャンダルや古い感覚を引きずっていると見られた候補が苦戦したことは注目に値する。小沢一郎氏が選挙区で落選したのも、甘利明氏が選挙区で落選したのも、基本的には同じ理由からだ。近年は、政治家の失言や不謹慎な行動などが失職にさえつながるケースも増えた。キャンセルカルチャーを移入した影響もあるが、人々の感覚があたらしくなってきていることも無視できない。世代交代が求められているのも、その影響だろう。つまり、ここへきて有権者は刷新や世代交代という明確な民意を示したのであり、変わらないことへのリスクは与野党ともにますます高まっていると見た方がよい。
刷新の効果
とすれば、福田達夫氏を総務会長に抜擢し、山際大志郎氏や小林鷹之氏、牧島かれん氏をはじめ、あっと驚く若手を要職に任命した感覚は間違っていなかったことになる。さらにいえば、福田達夫氏が巻き起こした党風一新の会の旋風は、総裁選の際のちゃんとした権力闘争として機能したことになろう。岸田氏自身は現状維持志向の総裁候補でも、党が刷新の役目を担えるのではないかという福田氏のアジェンダセッティングが成功したからである。この動きを論じるにあたっては、祖父福田赳夫氏が派閥を作った際の源流である党風刷新連盟を挙げる声も多いが、党の力を重視するメッセージを打ち出すことで、若手に許される限界ぎりぎりの「政治」をやろうとしたと見るべきだろう。
しかし、選挙戦では自民が刷新や改革の期待を一身に背負ったとはいいがたい。岸田首相は「改革」という言葉を封じたし、はじめは成長よりも分配を強調して戦った。与野党のメッセージが十分に差異化されないままで終わり、政策で是々非々を判断する人びとにとっては選びにくい選挙だったかもしれない。そのなかでは「改革派」であると見なされた維新が議席を大幅に増やしたのは不思議でも何でもない。
有権者が求めている改革とは、必ずしも具体的な政策パッケージとはいえない。一言で言えば、現状維持のもたらす安心感に甘んじず、前に進み続けるエネルギーを持っている政治家かどうかで判断しているということだろう。現実に人気のある改革派首長も、特定の政策の方向性を目指しているとは限らない。「改革」は、有権者のポピュリズムと言えばポピュリズムの部分もあるだろうが、村社会を知る日本人としてはいまの社会に安住してしまうことの危険をよくわかっており、それに甘んじない政治を求めているのだろう。
日本はまだまだ豊かであり、少なくとも当面は安定した内外の環境の中で生きている。時代には緊張感が欠けており、吉田茂首相の直面したような、あるいは岸信介首相が直面したような難しい課題に直面していない以上、政治も小粒にならざるを得ない。向かうべき方向さえ定かになっていない。安倍政権の退陣のときに政権を評価すると答えた人が7割を超えたのに(朝日新聞2020年9月世論調査)、今回安倍・菅路線を引き継がない方がよいと答えた人が6割近くに及んだように(同2021年9月世論調査)、民意を文字通り解釈してはいけない。そこにあるのは具体的な方向性ではなく、後付けの茫漠とした期待にすぎないからだ。
今回は、刷新を担った自民党が勝ち、改革の受け皿となった維新が躍進した選挙だった。そして、野党連合はそのいずれの要件も満たしていないと見なされ、市民連合的な立場に立つ支持層を超える闘いができなかった。つまり、野党支持者は自民党が総裁選を通じて刷新できたから過去のマイナスイメージを払拭できたなどと捉えるのではなく、むしろ野党連合に刷新のイメージがなかったことに着目すべきなのである。
それから言えば、立憲民主党の闘いにおける「新しい勢力」としてのイメージ戦略はまるで響かなかったと考えるべきだ。様々な職種の人にむけた枝野代表のメッセージ動画に対する「ひたひたとした感動」も、センスよくデザインされ編集されたはずの選挙演説動画が醸し出した「一体感」も、単なるエコーチェンバーにすぎない。
改革も刷新も、単に古いものを壊したいという気分というわけではない。押しも押されもせぬリーダーシップは評価される。その証拠に、安倍政権は7年8か月のあいだ、一度も国政選挙で負けていない。それに対して「有権者は馬鹿だ」「騙されている」と言い切る人々は真実を見ていない。もともと民進党分裂の結果としての敗者であるがゆえに狭いコミュニティの中で応援や賛同の声を寄せられているうち、徐々に立憲民主党の指導部の感覚もずれていってしまったのではないか。今回の甘利氏にせよ、小沢氏、石原伸晃氏にせよ、様々な理由から敗者の闘いを強いられた人に、有権者は温かくない。政治は同情で投票するものではなく、期待で投票するものだからだ。
「改革」カルチャーによる対立のゆくえ
最後に、有権者の改革期待が今後向かう先について述べておきたい。改革という言葉は批判を集めやすい。ふわっとした言葉ゆえに賛成も反対もしやすいのだろうが、反発の大きな部分は政策的な方向性というよりもカルチャーの違いにある。改革という言葉を批判する際には、たいてい誰か特定の個人を脳裏に浮かべて喋っているのであり、岸田氏が総裁選で見せた河野氏に対する苛立ちは、まさにこのカルチャーの部分における違いであると思う。政策的な立場の違いよりも、カルチャーの違いの方が深刻な対立と分断を生むことはままある。実際、大阪の住民投票で維新が取り切れない票は、最後は政策というよりもカルチャーの違いにある部分が大きい。だから、実は改革か否かという対立軸は、憲法や同盟をめぐる左右対立の次に意味のある対立なのかもしれない。
改革派カルチャーの受け皿としての維新は、しかし関西地方以外の全国では、比例票が自民党に容易に吸収されやすい性格を持つ。改革期待は特定の政党に必ず寄せられるわけではないからだ。今後、維新は憲法改正を積極的に掲げることで自公連立を切り崩しにかかるだろう。しかし、これはあくまでも維新のシナリオにすぎない。
自民党が、全国津々浦々に広がる公明党の支持基盤から離れることのできる日はそう近くには来ないだろう。公明党は自民党と一線を画す「クリーン」「リベラル」なイメージを代表しており、そこの票を取りこぼせば与党勢力は縮小せざるを得ない。また、全国で維新が躍進することのできる場所は主に強い候補のいない地方か、あるいは都市部であるが、地方はやはり厳しい。リベラル色が強い地方選挙区では保守分裂は不利だ。また、保守色が強い選挙区でも、保守勢力が野党そっちのけで牙をむき合っている選挙区には他党が入る隙間はない。地元の事情に根差した権力闘争がすでに飽和しているからである。自民党が活力を失っていなければ、維新は地方の保守分裂の受け皿にはなりにくい。
結局は、維新は勢力を拡大しようとすれば無党派が多く、改革派首長を皮切りに地方議会を席巻できる可能性のある都市部に注力せざるを得ない。東京や埼玉、神奈川などで一部リベラル票から改革保守までの票を積み上げるためには、相当なタレントを必要とする。比例票はともかく、現状維新が立てた候補者を見る限りその足元にも届かないというのが実情だろう。
結局のところ、わたしたちはなじみ深い結論に戻らざるを得ない。自民党が刷新をつづけられるか、改革期待を担えるかが今後の日本政治の焦点である。
(初出「論座」、2021年11月7日脱稿)